ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

「#生きてこそ~1.17を忘れない」とは(※雑学No.647,B.D.+133)

🌛🌝🌜👩‍👩‍👧🌟
2024/1/16(火)
🌇🌊⚓🌛✨
 
朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
昨日はいつもの中華居酒屋。今日は14時頃に帰ります。」(※☐◇:息子氏の名前)


つづいて、菟田野のお義母さん(85)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
おかあさん、おはようございまシュガースポット🍌♡🥶ガクブル・・・


💛さて、きょうは🎵寄す~る波よ 返~す波よ~🎵の火曜日ですねッ❓(•ө•)♡🌇🌊🌜🌟⚓
(『浜辺の歌』➁番、大正2年(1913))


💛ご存じであれば、よろしければ、ご一緒に口ずさんでくださいねッ(*•ө•*)/♡🌇🌊🌜🌟⚓


ε(c*´꒳`)🎤🎶
   ♪♪ゆうべ浜辺を もとおれば
  昔の人ぞ しのばるる
  寄する波よ 返す波よ
  月の色も 星のかげも♪♪


ε(c*´꒳`)🎤🎶
♪♪ ゼゼゼ… ゼゼ… ゼゼ…ゼイ…♪♪(←息切れ寸前の私😱)🌇🌊🌜🌟⚓


💛それでは、今日は、「西心斎橋/ゆうの」さんより、「お料理の名前当てクイズ」➁を
3問/9問お出ししますねッ♡今回もガンバッテクダサイネッ(*•ө•*)/♡


💛一応、ヒントつきですけれども、それが必要なのは、ひとえに私だけデスねッ(`Θ´)ドヤア


💛なお、前回(昨日)は同「ゆうの」さんより「お料理名当てクイズ」①を3問、
お出ししましたねッ🐡🐟🐠(*•ө•*)/♡


💛では、まずは全体の写真をご覧くださいねッ(*•ө•*)♡

   

   

   


💛続いて、四枚目から六枚目までの3品のクイズのヒントをお出ししますねッ(*•ө•*)♡
↓↓
◆四枚目:よ〇わ炙り🐟
◆五枚目:せ〇がにの茶〇蒸し🦀                
◆六枚目:八〇膳
🍁🍣


💛それでは、答えを発表しますねッ(*•ө•*)♡
↓↓
↓↓
◆四枚目:よこわ炙り🐟
◆五枚目:せこがにの茶碗蒸し🦀                
◆六枚目:八寸膳🍁🍣


💛ではおしまいに、変なやりとりをちょっとしますねッ(笑)(*•ө•*)♡
↓↓
↓↓
↓↓
私「饅頭こわい、ならぬよこわの炙りよ、こわ♪🐟( ˆoˆ )/♡


  せこがにの茶碗蒸しは、カニが(沈まずに)ちゃわんと浮いてるガニ♪🦀( ˆoˆ )/♡


  紅葉の葉っぱの八寸ハッとする♪🍁🍣( ˆoˆ )/♡」


マスター「 勘弁してくださいよ🥶ガクブル・・・ 」
✨✨✨


💛話変わって『♪浜辺の歌♪』と言えば、
2番は波の音が聞こえてきそうな心洗われる唱歌ですね⚓🌊🌇🌜🌟


お互いも、心洗われる夕日や月や星をたくさん見ましょうよねッ😉✨


💛それでは、明日の続きをお楽しみに❓
今日も佳き日でありますように⚓😸👩🐸           


With "WouldYou"(ウイズ ウッジュー)


💛そのあとは、美原区ランへ行って25,670歩(20.3㎞)走り歩きしました🌼 🏃🌒✨ゼイゼイ… バタッ…♪♪ (←息切れしたウチ…😱でもその後にブログ巡りの至福が待っている…🥕🐎)


💛夜は『「生きてこそ~1.17を忘れない」(上野政志さん)』の文字起こしをしました↓↓


✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘🏃

開催日:2024年1月16日(火)、テーマ:「生きてこそ~1.17を忘れない」震災28年上野政志先生(76)講演 、場所:神戸学生青年センター(本館)2Fホール&オンライン、主催:被災地に学ぶ会、神戸大学学生震災救援隊、発信:藤室玲治(ふじむろれいじ)・被災地に学ぶ会代表、神戸大学ニュースネット
✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘🏃

※今年の上野政志さんのご講演を要約筆記させて頂きました。


今年1月1日16時10分に起きた能登半島地震も
見てきましたのでその話もしたいと思います



私の心臓です 11番が詰まっておりまして 手術も受けました
私はこの心筋梗塞にあった時 私も(娘、志乃と同じ)死ぬ目に


遭ったと思いました その後の私は生き延びて 
今は朝晩 薬漬けで いつ止まるか分からない


明日はない という思いで 
今を大事に生きております



このトルコ大震災の少女を TVの画面で見た時は
同じく瓦礫の下敷きになった娘をすぐに思い出し


私には印象的なものになりました 色々調べましたが
その後 少女がどうなったのかはわかりませんでした



ガザで今起こっていることは 


ただ自分たちがされたことと 
同じことをしているだけだと


いう風に 私には見えました 
私はこれは虐殺だと思います


右下の方は 日本人のお医者さんです
「自分は 明日生きてるかわからない」
とおっしゃったことも 印象的でした


戦争においても そして 地震においても
教訓が生かされたのかどうかということを
検証していかねばならないと私は思います


三陸大津波では 岩手県宮古市のお婆さんたちは
「津波はこんなに大変だった」と伝えてきました


その明治29年の三陸大津波の歴史の教訓は生かされ
昭和8年の三陸大津波では死者を大幅に減らしました


教訓が生かせなかったことも 挙げたいと思います
最悪の事態が起こったのが石巻市の大川小学校です
 


校長ではなく 教職員が 児童を校庭に集めて
47分待機させ 108名中74名が亡くなりました 



釜石市では てんでんこの津波防災教育を始めて
5年後に東北大震災が起こり 有効に働きました 


すぐ屋上に避難した 運動場に出ていた生徒にはみんなが
逃げろと言って 近所の人も 幼稚園児も 小中学生も
みんなが逃げた 学校の管理下の子は誰も死ななかった


そうじゃない子は 隣のお祖母ちゃんを助けて 自分は
下敷きになった女の子がいました 子どもがお母さんを


探してのみこまれていった
ということも 起きました


徹底が出来てなかったと 
先生方は 反省しました


そういうことを教訓に 
気づいた者から逃げる 


それがてんでんこです



災害ボランティアで岩手県大槌町に行きました(2011年8月15日)


能登も かける言葉が難しい 頑張れは 大変傷つけることを
マラソンで 頑張れと 声をかけることとは全く違うと 私は


知っていたからそういうことは言いませんでした


写真を洗うと「これだけでもあってよかった」と 
言ってみなさんが泣かれたことも 印象的でした


ボランティアは 三現主義 
現地に足を運ぶ・体で知る・現地の方のお話を聞く
が大事かと 私は思います



ここから生きてこそのテーマに入るわけですが
フクジュソウの花は 芦屋市・津知町の花です


「逆縁なきしあわせと 福寿草」
の句にちなんで 背景にしました


映画「アライブ」(1976年)で
見捨てられてしまった彼らは 
ヘリが現地にやってくるまで


72日間 何としても生き延び
16名が 生還に繋がりました


色々 受け留めは
あると思いますが


私はここから「生きてこそ」の
タイトルが 立ち上がりました



娘は成人式の後 神戸の下宿に戻り
三日月駅での「じゃあ、またね」が
最期の言葉になりました


成人式での寄せ書きのようなものに
「一歩一歩、大切に生きていきたい」
という言葉を 残していきました


一緒に被災した三人のうちの一人に
生きておられた方がいて 今横浜で


キャリアウーマンになられて
暮らしておられますが 後で
いろいろ聞く事が出来ました



背景は 屋久島のシャクナゲです 
自然の自生のシャクナゲは 青い 
素晴らしい色を しておりました



アパートの周りはこういう状況でした



娘は ここ(矢印の所)で 見つかりました


二階のアパートごと 大きく動いたことがわかります
ワゴン車で 17日の夜には 近くまでやってきました


隣りの方は腰の骨を折っただけで 
助かっておられました
そういう 運命の違いがあります


瓦を落としたり 兄が手伝いに来てくれたりして
夕方5時ごろに 梁を持ち上げることができました



そこへ 刑事が来て 娘をすぐには 
連れて帰ることができませんでした


ここで 娘は 185番目位の遺体NO.だったかと
検死官が一人で 結局その日は見て貰えなかった
でも それも 致し方がないかなと 思いました


診断では 窒息死でしたから 生きてたわけですよね 
即死じゃない どれ位 苦しい思いをしてたのかなと 


その時分は 私は 学校勤めを 
してたのが 今も悔やまれます



生きた状態で病院へ運ばれた方も 50名位が 
クラッシュ症候群で亡くなりました それも 


アメリカのノースリープの地震が教訓化されなくて
死ななくて済んだ方々が 沢山 亡くなられました



能登半島の避難所では このような(阪神淡路大震災のような)
寝る場所もない程のギュウギュウ詰めは 見られなかったです


能登半島は簡易間仕切りシステムという
こういうのが 一週間で整っていました


女性は 着替えとかがあるのでね
一番大事なのはプライバシーです 



阪神淡路大震災では こういう個人の無償の
自由意志の力が非常に有効だったと思います



村山首相の初動は12時10分
貝原知事は 9時半でした


自衛隊要請の権限を持つ人たちだから 
この人たちは ひとえに重要なんです


せっかくの
スイスからの 救助犬も
減らされ待たされました


命を守るという人権の基本
が なっていませんでした


「危機管理意識の欠如」という
言葉が この時 生まれました



東北大震災 毎日100㌧以上の
冷却汚染水が 出ていることを
日本の政府は知らせていません


「パニックがおこるから」だと
それを今 海洋に流しています



ニューヨーク州ショアハムは 同じ理由で
原発をやめると宣言しているのに 比べて


四国の伊方原発は どれだけ
いい加減な対応であることか


この違いはなんだろうと 
私は それは やっぱり 


人の命をどれだけ大切に考えるか
どうかの違いにあると 思います



死者の 一人ひとりの顔が 見えますか
能登半島地震で ある42歳の男性の方が
妻と子どもと 祖母を亡くしておられて


その方が
「子育てはお金がかかる でも
 子どもの成長を見る楽しみが
 あるから頑張って働けたんだ」


言われ 私と同じ思いで
あられることを知りました


その方は 私どもよりも 大変な目に遭われています
でも 娘は娘だから 私はそのような比較はしません



娘は 平凡な家庭で育ちまして
自然の中で育てたいと伊丹から
津知町へと引っ越してきました


連れは屋久島出身だったものですから
休みになると 縄文杉を見に行ったり


家族の一員としてみなで分担
することを心掛けていました



娘は高3になって突然 美術の方に行きたいと
言い 美術系の学校を受験して入学しました



母の日カードは 娘が通帳に残していたお金と一緒に
財布に入れて仏壇に置いていた所 盗難にあいました


山歩きの方が見つけて届けてくれて
奇跡的なことと大事にしております



これは 東京大空襲です
米軍が 周りから 囲い込むように爆弾を投下した中で
人々は 逃げまどいながら 亡くなってしまったという
非常に 残酷な写真です



鈴木正幸・神戸大学教授がN体験
という いいお話をされました


知識として知っておくことは大事だが
ただ 知識だけは生きていけないから


川を渡るように 叢、石ころ 
色んな状況を 体験しながら 


生きていけば わかるという所に行ける 
でも わかるだけは まだ不十分で それを
生かした所で 初めて人は理解するに至ると



逆縁について
死んだら やっと解決されるのが 逆縁です



私自身は10番「諦めと受容」で
止まっているかなと 思います



連れは一年して「さゆり会」を見つけて
月に一回 外へと 出かけるようになり
話ができるようになり喜んでおりました


ただ「兄弟がおったからまだましやね
私のところは 一人っ子やったから」


そういう言い方をされたことがあって
そういう思いになるかもしれないなあ
とは あとで 二人では理解しました



これらは 今も残されているものです


明日の 1月17日 5時46分は
そこで過ごそうと思ってます


ここに志乃の名前は半永久的に刻まれましたけど
生きていてほしかったなあというのが 本音です



死について学ぶ
日本には今もまだ死を遠ざける考えがありますけれども
仏教はそういうのとは違う事を知ってほしいと思います


「理不尽な死」という状況におかれる
ことは非常につらいことだと思います


つけたしとして2023年7月から 
佐用の三河小学校に娘の遺品を
置かせて頂くことになりました


お茶、お菓子をご用意して お待ちしておりますので 
近くまでお越しの際はお立ち寄り頂ければと思います


私の事(私のこれからの目指す教育)を 少しお話します


アジアの医療に尽くした岩村昇さん(神戸大学教授)


正当な教育を禄に受けられなかった人が
人間的に 素晴らしいことをされました


或いは「しねしねしね」と書かれた子どもは
ローマ字でshineはシャインと読めると発見して


「私に輝けと言ってくれる」と解釈して
「自分は強くなりました」と語りました 


いじめの力は 強者の力です
言葉というのはそういう風に


本来 弱者を救う為に あります
今はそれが何か勘違いされてます



聞き役になることは私は
大事なことだと思います


「聞き役になろうじゃないか」

そういう人を一人でも作っていこう

ということを 今 考えております



今度 タイに行くんですが 
ここは ミャンマーという
恐ろしい所もありますけど


ここには 日本兵のお墓があるんですよね
タイの人々は日本兵を大切にされています


ちょっと余談になりますが
時間が許されるのであれば


歌も歌わせて貰えたらいいんですけど


岡林信康 ご存じですか


【がいこつの唄】という短い
歌を ちょっと 歌いますね



【がいこつの唄】岡林信康


ほぼ 発禁の歌が多かった
そういう類の方のようです


思いが十分伝わったか
どうかわかりませんが


色々は話はさせて頂いたかなと
意をくんで頂けたらと思います


あと
コロナ問題で授業をさせて頂いた時に
素敵なレポートに 出会いましたので
それを付け加えて終わらせて頂きます


『生と死は両極にあるんじゃない
 死とは忘れ去られることなんだ』


※上記資料の写真は全て、パソコン上の画面をスマホに撮らせて頂きました(2024/1/16)

🏃🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨

※今日の文字起こしのソースはこちらです:
https://drive.google.com/file/d/1DfQLkgaM_5nUsamU5pk3ZeA2EXZy9ixH/view?usp=sharing

開催日:2024年1月16日(火)
テーマ:「生きてこそ~1.17を忘れない」震災28年上野政志さん(76)講演 
場所:神戸学生青年センター(本館)2Fホール&オンライン
主催:被災地に学ぶ会、神戸大学学生震災救援隊
発信:神戸大学ニュースネット/メディア研ウェブログ:https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media
藤室玲治(ふじむろれいじ)・福島大学地域未来デザインセンター特任准教授、被災地に学ぶ会代表:https://twitter.com/rfujimuro
■プログラム
2024年1月16日(火)
17:30 受付開始
18:00 開会挨拶
18:05 上野政志さん講演会「生きてこそ~1.17を忘れない」
19:35 休憩
19:45 グループトーク(感想共有、講師への質問もあれば考える)
20:05 グループトークの内容共有
20:15 上野さん回答、コメント
20:20 閉会挨拶
20:30 アンケート記入、終了
※趣旨:
神戸大学学生震災救援隊主催、被災地に学ぶ会共催で実施する、上野政志さんの講演会です。
今年の1月17日で29周年を迎える阪神・淡路大震災の記念行事として、震災で神戸大学生の上野志乃さんを亡くされたお父さん・上野政志さんの講演会「生きてこそ~1.17を忘れない」を実施いたします。

上野さんには、今も癒えることのないご遺族の気持ちや、命の大切さ、震災の経験から学び続けることの大切さをお話いただきます。能登半島地震直後の今こそ、聞くべき話ではないかとも思います。
上野志乃さんはたまたま私と同い年です。皆様に、阪神・淡路大震災のこと、上野志乃さんのことを知ってもらいたいという気持ちで毎年、企画しております。

※一昨年の記事はこちらです:https://whimeda.muragon.com/entry/568.html

※去年の記事はこちらです:https://whimeda.muragon.com/entry/671.html

🏃🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨

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