ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

#1.17 とは(※雑学No.282,第63週,2023/1/16(月)~,B.D.+139)

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2023/1/16(月)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
今週は、木曜日は午前中支援学校、土曜日はIらと飲み会、日曜日はフリーです。☐◇は水曜日頃に帰ってくる予定です。」(※☐◇:息子氏の名前)
つづいて、菟田野のお義母さん(85)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
おかあさん、おはようございます(•ө•)♡
大阪は、週明け、雨模様の朝です(*•ө•*)☔🎵
きょうは、鮨そういち/長堀橋さんより、「おまかせ握り」の写真と名前をお送りしますね🍣🤩見た目で何貫当てられるか、雨天の日の時間潰しにでもぜひ、チャレンジしてみてください🎵😊↓↓

※答え「右上から順に、穴子塩

穴子たれ 鯛昆布締め 煮はまぐり

中トロ マグロ漬け コハダ


私「穴子塩・穴子たれは、穴子山椒が揃えば、穴子三連星!!\( ̄∀ ̄*)中トロ・漬けは、マグロが揃えば、赤身三連星!!(* ̄∀ ̄)/じゃあ、大将、土産持ち帰り用に、穴子山椒とマグロを三貫ずつ握って~♪(* ̄0 ̄*)♪(←わざわざ終わったっぽいネタ二品を注文するあたり)」

大将「勘弁してくださいよ(❓)」

話変わって、「雨模様」と言えば、午後に近づくにつれて、天気はゆるゆる回復してきましたね⛅お互いもゆるゆると行きましょうよねッ😉✨それでは明日の続きをお楽しみに❓今日も佳き日でありますように」

With "WouldYou"(ウイズ ウッジュー)

そのあとは、古墳ランへ行って、12,048歩(9.2㎞)走り歩きしました🏃🐐🐦🐶夜は『「生きてこそ~1.17を忘れない」(講師・上野政志さん)』(前編)の文字起こしをしました↓↓

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開催日:2023年1月16日(月)、テーマ:「生きてこそ~1.17を忘れない」震災28年上野政志さん(75)講演 、場所:こうべまちづくり会館2Fホール&オンライン、主催:被災地に学ぶ会、神戸大学学生震災救援隊、発信:藤室玲治(ふじむろれいじ)・被災地に学ぶ会代表、神戸大学ニュースネット
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※去年、2022年の上野政志さんのご講演の全文起こしをベースにして 今年の講演のお話を加筆しました。去年の記事はこちらです:


🌛上野政志さん(75歳、阪神淡路大震災で、当時神戸大2年生だった娘の志乃ちゃんを亡くされました)
拙い話ですけど 聞いて頂けたら幸いに思います 
私は 今現在は 主にタイでボランティア活動などをしていますが 小・中学校の子どもたちとは ずっと 休むことなく 関わってきたように思います


このスライドは 知り合いの ある西宮の小学校の女の先生が 「この世で一番広いものはなあに?」と 問いかけた時のもので 子どもたちは いっぱい いろんな答えを出すんです それに対して 先生は 一つ一つ褒めた後に 「わたしは」と断りをつけて 「一番広いのは 人間の心じゃないでしょうか? わたしは そういう風に 思います」というような答え方を されていました 


私は いのちについて ずっと 語ってきましたので 自分のいのちは どんな支えがあるんだろうということを 考えてみたんですが 十代前の人は 何人の人が 関わっていたのか 計算してみますと イメージできるでしょうか 1,024人の人が 関わっっているんですね 


わたしは そういうことをね 悩みがあってもね 聞いてほしいなってことでね 「その誰かが 欠けていたら 自分は 生まれてこなかったんだよ あなただけの いのちじゃない」ということを 言っています


🌛このスライドは 伊丹で 娘(※志乃ちゃん)が 大学の美術の課題で やっていたもので 『空を泳ぎたかった魚の話』という ぱらぱら絵本なんですけど これを 小学校などに 寄贈しています 娘の誕生日の記念に 100部 作ったんですけれども それが 反響を呼んで 今も 問い合わせが あります 瓦礫の中から 見つけた遺品です

私のテーマは やっぱり「生きてこそ 死んでもうたら しまい」です つらいことも 楽しいことも 生きてこそですから 


アライブ -生還者- 」(1976年) という 映画があります 40年以上も前の映画で 飛行機が 墜落して あるフットボールの選手と 家族が 乗っていたんですね 生き残った人たちがたくさん 救援を待っていたんですけど 1週間ぐらいで 打ち切りにされてしまう それからが 「72日間 絶対に 生き延びるぞ」という 衝撃的なお話が続くんですが そういうふうな「生きてこそ」を 私のテーマにしています 


佐用町は 一番 被害の 大きかった所の一つですけど そこの おじいちゃんから 歌をもらって その中に 福寿草の歌が あったんですね それを参考に このスライド画像は作りました


🌛娘は 1月14日成人式の前日に 帰ってきて 小雪の降る中「いってきます」と 田舎の役場に 出向いて行きました その日は楽しく 夜までお友達や 担任の先生と過ごしました 


1月16日の夕方に 大学の美術の宿題をせなあかんから 神戸へ向かうことになった テーマを「10年後の3人の住居」に決めて 3連のお家の設計図をつくって いつも 真ん中に 皆で揃ってワイワイする そういう風な設計を考えて 3人のお友達と 話しあっていたようです 


それで 近くの駅 三日月駅 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%97%A5%E6%9C%88%E9%A7%85まで 送っていったときに 「じゃあ またね」と これが 最後の言葉になりました


「成人式への出席は この服でいい」と 娘が 自分で選んだこのスーツを 3回着ただけだったんですが お棺の中に入れて 送りました


成人式では「ひとこと なにか のこしていきましょう」という企画があって 娘は 「一歩一歩 大切に 生きていきたい」と 残していたんです 結果的に 一歩も歩まないまま遠くへ 逝ってしまったことになります


🌛このスライド写真は 一端 宿題をするために帰っていた志乃(※娘さんの名前)が 1月8日に 撮っていたもので これは そこから 北に3m 東に2m 動いてる ボーンと跳ね上がって 飛んでいる状況ですね 実際 洗濯機は こんなところに 倒れています 1階の高さは 30㎝ほどに なってしまっています 


のスライドは 自動車の中にいた人に「助けてください」と言われて つっかえ棒代わりに こんな風に 置いた あとで 「いつまで おいとんのや はよ のけてくれや」と言われたという 後々になって そういう 思い出も あります 


どこで なにがあったか 一切 わからなかったですね お昼ぐらいになって 神戸の事態は わかりました 仕事をやっていた私が 心配だと思い出したのは 夕方で 実際に でかけたのは 夜の10時頃でした 


水・食料・自転車を積んで 出掛けて 幹線道路は 全部 うごかなかった 36バイパスは スースースーといけて 2時間近くくらいで 現場には これました 


しかし 生きてると 思ってましたからね 避難所 六甲小学校とか 近くの病院とか 一応 全部回って 夜の12時を回ってましたから  「一回、二回 呼んで でてこなかったら おらんと わかるやろう」と 叱られたり ということが ありました


近くの駐車場に ワゴン車をとめて 仮眠は できなかったけど 休んでおりました 知り合いの人に ちょうど出会って 「志乃さん いますか」と たずねてもらったんですけど 夜の2時頃まで かかりました 


が来るまで じっとしているしかなかった まわりは まっくろけの瓦礫の山なんで 動くだけでも 危ない ということがありました 朝になって 現場のアパートに 出向きました 


🌛瓦礫を のけているうちに 付近で まず を みつけました 「これ お友達か?」って言うて あとで お友達とわかったんですけど そのつぎに が 見えたんですね その時 触った足が 氷より冷たかった というのは 私だけではなかったです こういう表現は よくされるというのは 耳にしております  


コタツには さしむかいで寝とった ということが わかりました 二階の梁が コタツの真ん中に ドーンと 落ちとって それに 挟まれてたものですから 警察にも 消防署にも 言いにいきましたが 3日ぐらいかかるから 待っとって」と言われて 「これはあかん」思うて 自分で 剥がしました 


途中で 垂水区に住んでいるがきてくれまして 色んなものを よけよったら ほんとに 夕方5時頃になってやっと 梁が フッと 上へ動いた気がしたんですね


ほとんど 怪我も ないまま の状態でした けれども 後で聞けば これは 窒息死と いうことで 5分から30分そこらは生きとった ということで どんなにか 苦しかったやろうなという 気がします 


🌛それを 警察の人に 「スポーツセンターへ連れてってくれ」と 言われました ドサクサにまぎれて 殺人した場合もあるから 検死しなあかん」と 言われて これは その後 中止になったんですけど 読売新聞の方が その時の現場の写真を 残していた よく撮ったなと思うんですけど 


187検体くらいあって 検死に一人15分くらいは かかるんですね 一日 二日では 済まない こんなん わかります しかも 先生(神戸大学のお医者さん)も「今日は これでやめや」と 10時頃に 帰ってしまわれたので 


次の日 検死する方は 二人になった そのおかげで わたしたちも 夜の11時頃に 「検死 済んだから 帰ってもいい」と いうことだったんですけど ゆうたら ものあつかいを されましたね 


🌛阪神淡路大震災では 避難所のまわりのもんは みんな 毛布で囲って 見られんようにしてましたけど 非常に つらかった思いをしています


避難所生活は ついたてなしだと 1週間 もたないんですね ついたてなしは 東日本大震災では 改善されたんですけど 神戸では なんの柵もなくが  実情でした 


まだ 自動販売機 トイレは 使えてたんですが 8時半には もうぜんぜん なにも つかえないんです  公衆電話は ずらっとならんでる 十円玉が 当時 一番大事だったですね 


🌛公的な機関が 動いていなかったので 後々 ボランティア元年と言われることになる 例えば おばさんが 背中に 情報提供のメッセージの紙 を貼り付けておにぎりを配ってまわったり 学生が バイクで 遠くから 物資を送り届けに 来ていました


こういう人たちの活躍は あったんですけど なかなか 生かされない おにぎり の長蛇の列に 並んだ末に おにぎり・たくわん一個だった日が 数日は 続きました


🌛大きな災害じゃなかったら 助かっていたかもしれない 手がなかったことが ほとんどの人を しなせてしまったと 言えると思います 今 おられないから いいんですけど 村山元首相は 12時10分に 知りました 兵庫の貝原知事は 9時半に知りました(※阪神淡路大震災は、1995年1月17日午前5時46分に発生しました) 
(つづく)


志乃が この世におったことを 知っていただきたい もうひとつは 逆縁と言うのが どんなに つらいことか 知っていただきたい そして いきるとは どういうことか かんがえてほしい

※上記資料の写真は、パソコン上の画面をスマホ撮影させて頂きました(2022/1/16)

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※今日の文字起こしのソースはこちらです:https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b734772959c4add5975d53e19a811a97
開催日:2023年1月16日(月)

主催:被災地に学ぶ会、神戸大学学生震災救援隊
テーマ:「生きてこそ~1.17を忘れない」震災28年上野政志さん(75)講演 
場所:こうべまちづくり会館2Fホール&オンライン
発信:神戸大学ニュースネット/メディア研ウェブログ:https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media
藤室玲治(ふじむろれいじ)・福島大学地域未来デザインセンター特任准教授、被災地に学ぶ会代表:https://twitter.com/rfujimuro
■プログラム
1/16(月)
18:00 会場受付開始
18:30 主催者挨拶(藤室玲治(ふじむろれいじ)・被災地に学ぶ会代表)
18:35 上野さん講演開始(95分)
20:10 講演終了、質疑応答
20:20 主催者挨拶(神戸大学学生震災救援隊)
20:30 講演会終了
※動画のアーカイブ配信はありませんが、マスコミの方の取材関連記事はこちらです:
2023/1/11(水)

※神戸大学の学生さんによる、当日の模様の迅速で詳細な報告記事は、こちらです:
2023/1/16(月)
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