ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

#クルド人とヒロシマ とは 「#ハラブジャの悲劇」と「#広島通り」とは (※雑学No.491,B.D.+348)

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2023/8/12(土)
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※きょうは、ノーペン🖊デーのため、通常のメール・チェックと、レター書きと、『根っこばなし』と、お食事の写メ特集は、お休みです🙇(笑)。


きょうは、太鼓祭りと盆踊り見物ランへ行って、13,980歩(9.8㎞)走り歩きしました🐱🏃🌘

With "WouldYou"(ウイズ ウッジュー)

夜は 【音声配信】特集「イラク戦争から20年。フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん、佐藤慧さんによるイラク・シリア取材報告」の文字起こし(要約筆記)をしました。今ネット上で、クルド人の方へのヘイトスピーチが酷くて、またそれを「50代の大人の人が主にやっている」とちょっと聞いていて、やっぱり今年ウチは50代最後の年なので、「そんな50代ばっかりじゃない」と、最後にちょっとガンバって声をあげてみようかなという風に思いました💦🌸↓↓


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配信日:2023年4月3日(月)、発信:TBSラジオ『荻上チキ・Session』、テーマ:特集「イラク戦争から20年。フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん、佐藤慧さんによるイラク・シリア取材報告」、出演:安田菜津紀×佐藤慧×荻上チキ×南部広美
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※部分起こし(要約筆記)


🌛59:07 荻上チキ・NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表。「社会調査支援機構チキラボ」代表:https://twitter.com/torakare
今回の取材の目的というのはどういったものだったんですか?


🌝59:14 安田菜津紀・認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト:https://twitter.com/NatsukiYasuda
まず 2003年に
アメリカがイラクに対する軍事侵攻に踏み切ってから
20年 という月日が経つわけですけれども


その 20年目のイラク
人々がどのような生活を送り
何を思うのかということを
知りたいというのが一つと


その隣国のシリアに関しては
2011年から 戦争状態
続いているわけですけれども


さらにそこに
今年2023年2月6日に自然災害
起きてしまいました


私たちが今回行ったのは
シリアの中で最も被害が大きな場所ではなかったんですけれども


それでも戦争だったりですとか
その上に自然災害だったりの複合的な被害
どのような状況をもたらしているのか
ということで今回は取材に行きました



🌛1:00:18 荻上
では 改めてイラクというのはどういった国なんでしょうか?



🌝1:00:25 安田
地理的には まず
東側にイランがあります
北側にはトルコ
それから西側にシリア
南側にサウジアラビア
ヨルダンに国境が接している部分もあります


https://www.youtube.com/watch?v=TFUA21ebIZM


そしてその北部に少数民族のクルド人の自治区があります(黄色い部分)


クルド人は「国を持たない最大の民族」とも呼ばれます
トルコ、イラン、イラク、シリア等の国に跨って
だいたい 4,000万人強ほどが 暮らしています


ただ 国全体で見た時マジョリティはアラブ人です 


アラブの人たちの中でも大きく分けて
スンニ派、シーア派の人たちがいます
数としてマジョリティはシーア派です



🌛1:01:03 荻上
これ イラクの地図を よく見ると
上の方にクルド自治区と書いてます


で その国境的なものの 境目が 随分曖昧で
この辺りが みたいになってるじゃないですか
これは どうしてなんですか?



🌜1:01:15 佐藤慧・認定NPO法人Dialogue for People代表/フォトジャーナリスト:https://twitter.com/KeiSatoJapan
特にイラク北部のクルド自治区に関しは
その境界線上に物凄く戦略拠点上
非常に重要な街
があったりだとか 


あとは地下に地下資源としての
石油
が眠っていたりだとか


様々な動乱がある毎に
その時に力を持ちえたグループが
その町を一度 掌握はするものの


周辺国とのバランスであったりもしくは
大国の意志などにより 


街を 誰かどう管轄していくかということが 
恣意的に変わってきた
という経緯があります



🌝1:01:47 安田
特に曖昧になったのが 2014年以降にいわゆる
過激派勢力である「イスラム国」(IS)が勃興して


イラク政府のイラク軍が敗走する中で
北部のクルド自治地区
「ペシュメルガ」と呼ばれるクルド側の治安部隊
様々な街を制圧していったんです


クルド側からすれば
いや この街は 自分たちが制圧したんだから
自分たちのコントロール下に置きたいという事で


そこでまたイラクの中央政府と対立して
なかなか安定的に定まらない
ということが続いてきました



🌛1:02:25 荻上
「イスラム国」(IS)掃討作戦の中では
アメリカ側もクルド勢力を現地利用する形で


なぜなら アメリカ兵は もう先に送れない
だから 支持者とか 指導者とか 場合によっては
武器情報は提供しても という思惑に
常により動かされるというか
相当翻弄される状況だったわけですか?


🌝1:02:41 安田
特にアメリカがどのように
イラクあるいはクルド人
翻弄してきたかはこの20年
振り返ると如実にわかります


私たちが取材をしたクルドの方からも
アメリカは自分たちのことを
所詮駒だという風に見ている
結局人間として見てはいない
という言葉をよく耳にします


🌛1:03:02 荻上
なるほど では
2003年3月20日イラク戦争が始まってから
20年が経ったということですけれども


この戦争がもたらしたもの あるいは
戦争が始まったことについてどう振り返りますか?


🌝1:05:37 安田
私たちが(イラク・シリアに)滞在中に
国会の答弁があったようですけれども


「イラク戦争そのものをどう考えるか」に対して
岸田首相が「それを評価する立場にない」と言い 更に


アメリカの姿勢を追随したことに関しては妥当だった」
という風な答弁をしていて


そもそもアメリカやイギリスのように
検証のスタートラインに立つことすら
できていない
所が非常に気がかりです


🌛1:06:28 荻上
検証する立場こそが総理大臣というポジションのはずであり
各国に学ぼうとする姿勢がないのは とても残念なことです


ただ 今振り返っても
当時 どうして 
アフガニスタンの一テロ組織によるアメリカへの攻撃から
イラク戦争へとなったのか?


イラク戦争のそもそも始まりにどうして?
と 思われる方は多いと思います



当時の様々な意思決定の空気感とか各国の思
そしてまあ 例えばオイルとかエネルギーとか
様々絡んだ意思決定だという検証もされますが
この点いかがですか ?


🌝1:07:04 安田
空気感ということに関しては
まず 2001年の9.11同時多発テロ
多くの人たちが理不尽に命を奪われ
これ以上攻撃をされる恐怖感だったりですとか


言い換えれば ある種の熱狂
それを阻止するためには武力攻撃も辞さない
空気感があったことは 指摘をされています


その中で
冷静に考えれば 大量破壊兵器の
確たる証拠にはならないものが 
証拠として 扱われていく


その熱狂にまあ市生の人々も
意思決定に関わる人たちも


飲み込まれていった雰囲気が
あったことは指摘されています


🌛1:07:49 荻上
これからは 大国間の世界大戦のような格好ではなく 
ならず者国家とかテロ組織などに対する警察的な行動をとる


という仕方で アメリカは 様々な戦争を
手掛けていくことになった


しかしながらそれのまあ総括と撤収そして尻拭いに
この10年追われているという状況があるわけですね


そんな中でお二人が今回取材された事件、出来事は
どういったものだったんでしょうか?
 
🌝1:08:21 安田
イラク戦争の前段で 
そもそも このイラクという国が
どのような歴史をたどってきたのか
ということを理解しておく
必要があると思いました



その中で非常に象徴的と思われるのが
ハラブジャと呼ばれる街の事件でした


ハラブジャ
イラクの首都バグダッドから北東に 
だいたい260キロ位行った所にある
山を越えたらすぐ隣はイランという街です


今は北部のクルド自治区の東の端に
位置しているような地理的状況です


で 今から35年前 1988年まで 時を遡ると
当時イラクとお隣イランは戦争状態にあって


で イランは
イラク国内の少数民族のクルド人
支援することによって
イラク側に 揺さぶりをかけていました


🌝1:09:13 安田
元々 イラク国内のクルド人は少数民族として
様々な 弾圧を受けてきたわけなんですけれども


その中で
サダム・フセイン率いるイラク政府
クルド人に対する掃討作戦
行っていくことになったのが
その1988年の3月16日です


その作戦が約7ヶ月間続くわけなんですけれども
まだ検証されてない部分も沢山残されていますが


5,000以上の村が破壊されて
18万人に上る人たちが犠牲になったのではないか



という風に言われてきています


🌛1:09:47 荻上
大虐殺ですね


🌝1:09:56 安田
「ハラブジャの悲劇」事件から
今年で35年
が経つわけなんですけれども


その1988年の3月16日
ハラブジャの街に化学兵器が投下されて


サリン系の毒ガスだったという風に
指摘をされているんですけれども
空気より重いので


空爆が大変だからと 地下避難をしてきた人たちが
空気より重いそのサリン系のガスに 次々犠牲となり


当時の街の人口の1割に当たる
5,000人以上が 犠牲になった
という風に 言われています


丘から見下ろしたハラブジャの街
(化学兵器攻撃を受けたクルドの人々:https://d4p.world/news/1680/より)



🌜1:10:43 佐藤
ハラブジャでは2019年にも
様々な被害者のご遺族の方に
お話を伺ったんですけれども


その中で 以前からずっとお話を聞いていた 
サイード・カカさんに今回もお伺いしました


サイードさん自身は
この「ハラブジャの悲劇」事件が起きた当時は
学生で この街にはいなかったんです


街から150キロほど離れた街にいた所に
今のようにスマートフォンやネットがあったり
するわけではないので
徐々に情報が届いてくる


伝聞で 何となく
ハラブジャで何か大変なことが起きたらしいぞ
ということが 聞こえてくる


その中でどんどんどんどん分かってくるのは
自分の家族の殆どが
この毒ガス投下により
死んでしまっていたということなんですね


🌜1:11:19 佐藤
今 彼は今 語り部として 
ハラブジャにある記念館の中で


自身の語りを様々な方に聞かせたりする
活動もされているんですけれども


そこの記念館の中に
亡くなられた方の名前が刻まれた
モニュメントがあるんですけれども


そこにサイードさんのご家族は
20名以上 記名されていて


ここにいる ということは
事件が起きた記念日だけを

悼むことではなく 
毎日この墓場のような所で働き
毎日この痛みを感じている


と 強くおっしゃっていました


🌛1:11:51 荻上
記念館の展示物にはどういったものがあるんですか?



🌜1:11:57 佐藤
ここ 記念館一部も フセイン政権側に攻撃を受けて
全ての展示品が見られたわけではないんですけれども


当時 使われていた兵器であったり
あとはそれを再現する蝋人形の展示などが
そちらには展示されています


あと 街の取り組みとして
非常に 印象的なのが


街の一角に 「ヒロシマ・ストリート」
という「広島通り」が設けられていました


街の中心街を走るイラクの「広島通り」 と「Heroshima」の文字
(化学兵器攻撃を受けたクルドの人々:https://d4p.world/news/1680/より)



日本の広島の名前にちなんで


日本では
かつて
あのような
大きな虐殺が起きた
それは
人の手によって
引き起こされた


きっと 
日本の人たちであれば
ハラブジャの人たちの
この悼みのことが
わかるはずだ



毎年の式典では 「ヒロシマ」の悼みも
共に祈りを捧げて下さっているそうです


イラク北部、クルド自治区のハラブジャから「ヒロシマ」へ
毎年 そのような祈りを届けて頂いているということでした



🌝1:12:46 安田
ハラブジャ以外の街を歩いていても


ああ 日本から来たのか
ハラブジャと「ヒロシマ」は兄弟だ
そうだろう


と声をかけられたりすることがあります


もちろん化学兵器と
それから 核爆弾は
違うものですけれど


やはり 大量破壊兵器によって
理不尽 に人の命が奪われたという所で


クルドの人たちにとっては
「ヒロシマ」の存在は
非常に大きいということは
要所要所で感じます


🌜1:13:15 佐藤
特に 後遺症が残ったりだとか
街そのものに負のイメージがついてしまったりだとか
その後社会的に彼らが置かれた状況であったりだとか
差別とどのように向き合っていくかであったりとかも 


どこか「ヒロシマ」と似通ったところがあるということで
おそらく向こうの人々は関心を寄せてくれてると思います


🌝1:13:48 安田
サイードさんのお父様が
もう90歳を超えていらっしゃるんですけれど
ご健在で リアルタイムで


「あ 僕ね ラジオで ヒロシマで
大変なことが起きたっていう風に

ニュースで聞いたの 覚えてるよ」


という風におっしゃっていて


こうやって ヒロシマに対して
 ハラブジャから祈りを捧げているように
 日本からも ハラブジャのことを知って
 平和を 願ってほしい」


ということも強くおっしゃっていました


「Heroshima」の文字を、毎日多くの人々が見ながらここを通っていく
(化学兵器攻撃を受けたクルドの人々:https://d4p.world/news/1680/より)


ハラブジャのこと そしてお父様のご発言のことを理解する上で
とても大切なのことは
当時のその国際情勢がどうだっ たかということなんですよね


先ほど2003年に サダム・フセイン政権に対して
アメリカがあの国は危険分子だという風に扱って 
軍事侵攻に踏み切った というお話をしましたが



1988年当時は
お隣のイランイスラム革命が起きていたんですよね


でそのイランのイスラム革命の影響が
他の国に波及してほしくない思惑などから


むしろ当時はアメリカ側は
サダムフセイン政権側に
肩入れしていたことがありました


なのでずっと敵視して 
2003年に踏み切った
ということではなく


時の情勢によっては利用し
時の情勢によっては敵視し


という非常に恣意的な
扱いが続いてきたということも


「ハラブジャの悲劇」事件から
見て取れるのかなと思います



🌛1:13:34 荻上
「ヒロシマ」という言葉は世界的に有名、そして語られていて
ハラブジャの中でも「広島通り」がある 
という話でした


ただ 日本の方々は
ハラブジャのクルド人の方々が


「ヒロシマ(の原爆の日)」を知ってる程には
「ハラブジャの悲劇」をよく知りません


🌛1:15:14 荻上
そういうことから 今回現地で様々な方に
インタビューをしてこられたわけですね?
ではここからはそのお話を伺っていきます


※続きはこちらからご視聴できます(1:15:27~1:45:01)https://www.tbsradio.jp/articles/68261/

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※今日の文字起こしのソース(情報源)はこちらですhttps://www.tbsradio.jp/articles/68261/

2023年4月3日(月)
特集「イラク戦争から20年。
フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん、佐藤慧さんによるイラク・シリア取材報告」
【出演】
認定NPO法人Dialogue for People代表/フォトジャーナリストの佐藤慧さん:https://twitter.com/KeiSatoJapan
認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリストの安田菜津紀さん:https://twitter.com/NatsukiYasuda

※動画の視聴urlはこちらです:https://www.tbsradio.jp/articles/68261/
※関連ブログ記事のご紹介はこちらです:https://whimeda.muragon.com/entry/1200.html

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