ダブルっち。

小6~高3まで、親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(4月29日で二十歳♡)も、晴れておかげさまで、広島での下宿生活を満喫中です!f^_^;)笑

なんとまあ変り映えせぬ日暮らしに障害者週間とやらも過ぎる(バンカラさんが逝く①)



表題の短歌は、佐賀県嬉野市嬉野町吉田出身の小説家、中島虎彦さん(愛称バンカラさん)のHPの『日誌』、及び歌集『とろうのおの』に収められた作品です。






      



中島虎彦さんの中・長編小説、論考などの全力作をお読みになりたい方は、「吉田ふるさと文学展示館」へ行けば、ご覧になることができます。






言い換えれば、中島虎彦さんの新作は、もうお目にかかることができません。


中島虎彦さんの身に何が起こったのでしょうか。





中島虎彦さんの2001年10月31日の『日誌』には、中島さんが平均余命15年の宣告を受けていたことが書かれています。






中島虎彦さんは、平均余命15年の宣告を受けながら、32年間の歳月を生きてこられました。
また、念願だった脊椎損傷「障害」者の一人暮らし(自立)にも踏み切られました。



次は、中島虎彦氏がお亡くなりになる二ヶ月前の、ある日の『日誌』です。






2006年4月から施行された「障害者自立支援法」による一割負担は、
多かれ少なかれ、自己判断による介護サービス数の減少を生むことはわかっており、
その結果、重篤な脳血管疾患の早期発見が遅れ、
中島虎彦さんの、救われるはずの命が救われなかったのだと。


上記『日誌』は、その証拠をさししめす何物でもない、とワタシには思われました…。



死は、自分にも訪れる(誰にでも訪れる)ものですから、悲しくはありません。


ただ、


余命が尽きたのでもない、
「障害」者の一人暮らしの無理が祟ったのでもない、
「障害者自立支援法」が、中島虎彦さんの命を奪ったのだと。


そのことを立証する力が、当時も今も、自分にないことは悲しいですし


2005年1月24日の『日誌』に、





と、「被差別部落出身などにより…」という一文を残してくだすったことを
時々思い出して、個人的にグッとくるくらいです。


それでは、
中島さん、またお逢いできる日まで、さようなら!!






次回、「バンカラさんが逝く②」では、
頚椎損傷の身体「障害」を抱えられた方が、脳出血により最期を迎えられたとき、
 場合によっては、報道で故人の人格権が守られない危惧があることについて考えます。






1997年月日、佐賀バルーンフェスティバル にて


≪中島虎彦(なかしまとらひこ)さん ≫


1953年、佐賀県嬉野町生まれ。1974年、大学3年のとき器械体操の事故で頸髄損傷。その後、無年金のため自宅で学習塾や雑誌の編集協力や文筆業などをして稼ぐ。2006年からは、嬉野市営住宅で自立生活を始める。その模様はホームページ「障害者の文学」にて現在も公開。
http://www.asahi-net.or.jp/~ys2k-sik/01editor/nakashim/nakashim.htm








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