優生思想に向き合う☆安原美佐子さん
おや?堺市の公共施設の壁に、また何か貼られたようです🙄
(以下、法務省HPより)
国際連合は,1948年(昭和23年)12月10日の第3回総会において,世界における自由,正義及び平和の基礎である基本的人権を確保するため,全ての人民と全ての国とが達成すべき共通の基準として,世界人権宣言を採択し,また,1950年(昭和25年)12月4日の第5回総会において,世界人権宣言が採択された日である12月10日を「人権デー」と定め…
法務省の人権擁護機関では,1949年(昭和24年)から毎年,人権デーである12月10日を最終日とする1週間(12月4日から12月10日)を「人権週間」と定め…
(前回へのリンクです)
※画像はムラゴンの皆様etcからお借り致しました🙇
『優生思想に向き合う』
安原美佐子さん
「いつか伸びるわ」と思っていました。
中学ぐらいになって、出来ない事が増えてきた時に
「あんたは小さいから」と母に言われて、
諦めが出てきました。
でも、頑張る障害者を 私は演じてました。
同じ障害の人と出会うのは
自分を見てるようだから、避けてました。
5年ぐらい前までは、自分の嫌さは
「障害者自立生活センターを立ち上げよか」の前に
私は、障害者手帳を持ってない。
障害を受け止めていませんでした。
https://munige.muragon.com/entry/81.html
障害者手帳を貰いました & もうすぐ生活発表会 - のんびりりんちゃんリハビリ日記
でも、エンジェル藤岡さんに会いに行って、衝撃を受けました。
藤岡さん、凄い自信持ってる。
「よく頑張ってきたよね」と言われて、
「凄いピア・ カウンセリング的な事わかってはるわ」、
「がんばらんでいいんや、自分のままでいいんや」
「わたしはわたし」
でも、その時初めて、同じ障害の人と会って、
「私、車椅子乗るんや…」という衝撃も受けました
自分一人で歩いている時より
家族と歩いている時の方が
周りの視線を意識していました。
明るい街、明るい気持ち。
一方で、
「でも、自分の中にも優生思想があるな」と思ってました。
内なる優生思想を持ったままでも、
自分は、人に生き方を教えてあげられると思うけれども。
中学の時、ストレスで、生理が1ヶ月続いたことがありました。
薬を飲んでも物凄くしんどくて
「無くなればいいな」と思っていた時期がありました。
「自分は産まないだろう」というのが、もう根付いているから、
生理の事も、遺伝の事も、車椅子の事も
まだ、あんまり教え込まれてない時代だったから、
選択肢があったら(強制不妊手段としての子宮摘出を)選んでいたかもしれない。
そんな風に考えてました。本当に怖いなと思います。
生前診断については、重度障害の筋ジスの人が
自分たちが殺される存在であることに危機感を発信していて
生まれる前からいのちを選別されること、否定感、
価値がないとされることは、怖いなあと感じていました。
そういう社会に対しては
でも、あり得ないことだとは凄く感じています。
障害者が、まず、自分を好きになることが大切だと思う。
みんな、否定感があるから。
「介助を使ったら、何でも出来る人やねん」となっていったら
社会が変わると思うんです。
この社会で生きていけないことが「不幸」なんですね、誰にとっても。
だから私は、一人一人が大切にされる社会にしていきたいですね。
Love Youself
<完>