ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

*PEACE*(※雑学No.172'),第51週,2022/10/3(月)~,B.D.+28,

✨🌒🌓🌔🌕
2022/10/3(月)
🌕🌖🌗🌘✨
朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
昨日はご苦労様。今日は☐◇と出勤です。今週は木曜日は朝から健診、土曜日はIらと飲み会。その後連休です。」(※☐◇:息子氏の名前)
夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
おかあさん、コン🦊ばんは。
きょうも私は終日、半袖・薄着でウロウロしていました👕「二日後の寒波襲来🥶に向けての体慣らし」と言えば聞こえがいいですが、実はここだけの話、夏物と冬物の入れ替えが出来ていないだけです😂
それでは、今日も『根っこばなし』より、『年越し鮎 🐟⛵』⑥をお送りします😊
前回は
『むかし、美濃国(現・岐阜県)の長良川のほとりのムラで、年末は、町の商人相手に、干し鮎(※10月の終わりに産卵を終えて死滅した落ち鮎を干物にしたもの)を正月用に商売していたが、そこでの取引で最も慶ばれる年越し鮎(※産卵後も落命せずに翌年の夏頃まで生き延びる鮎)は、(長寿の縁起物としての希少価値は非常に高いとはいえ)ムラの者に言わせたら、決して食べられた代物ではありませんでした
というお話でした👵👶🐯🐯
なお、『年越し鮎 🐟⛵ 』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇

『年越し鮎 🐟⛵』
👵👶👴

寒の さなかに 部落の者が、

河原の 雪を 搔きのけて

焚き木拾いを しとったらな。⛄👩🏻👨🏻

その 川ぶちの ひとところだけ、

地はだを みせて 雪が 溶け、

もやが うっすら 立ちこめとると。🌨🏞️


ためしに かがんで 手を つっこめば、

大川よりも ぬくとうて(※暖かい)、

こりゃ、どこぞの 野川の水が

河原を くぐって 湧き出しとると 思ったとよ。🏞️👩🏻👨🏻


欠けとる 渕から 両手を ついて

五、六尺(※約2m)もの 水底を のぞいたらな。🏞️👩🏻👨🏻

ぬくとい水に 集まった 鯉やら 鮒(ふな)やら 小魚たちが、

水藻のなかに 群がっとると。🏞️🐟🐠

(つづく)


果たして、そのぬくとい川淵に、何万匹に一匹という「年越し鮎」が潜んでいるのでしょうか?🐟🤩

「小魚 海藻」と言えば、「マゴワヤサシイコ」の、「ワ」が海藻(ワカメ)、「サ」が小魚(魚)ですよね👶(※ちなみに、=豆類(納豆、豆腐) =ゴマなどの種子類  =野菜類(ほうれん草)🥬=椎茸などのキノコ類🍄 =芋類🥔 =米類🍚だそうです)ということで、お互い、明日の朝ご飯とお味噌汁には「まごわやさしいこ」を食べましょう🎵😉✨それでは、明日の続きをお楽しみに❓😆おやすみなさい😴💤✨」

With "Ryoryo"(ウイズリョーリョー)

きょうは、夜ランに行って、7,164歩(5.1㎞)走り歩きしました🏃✨そのあとは、『「戦争を伝える」ということ』の文字起こしをしました↓↓
(※え?10月に戦争?と思われた方もおられるかもしれません。実は、この企画は今夏の7月30日に開催されたもので、それを5日前、9月28日にちゃんとしたアーカイブとして配信されました。それで、文字起こしが本日になりました🙇)

✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨
開催日:2022年7月30日(アーカイブ配信開始日:2022年09月28日~)、主催:明治大学平和教育登戸(のぼりと)研究所資料館、「『戦争を伝える』ということ」、講演:渡辺賢二・専門委員、川口重雄教諭、橋本暁教諭
✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨

※YouTubeの文字起こし機能を使って、部分起こしをし、誤字・脱字を修正しました

橋本 暁・和光中学・高等学校校長,社会科教諭の講演と質疑応答から抜粋
1:51:29
🌛実感を持って理解する っていうのは 今までの
1:51:36
議論にもあると思うんですけども やっぱりそんなに簡単なことではなくて なんて
1:51:44
言うんですかね ぜひ いろんな面から見てみる ということを まあ考えるべきかなと
1:51:50
いうふうに思います
1:51:56
 戦争のことを いっぺんにすべて


綺麗にパッケージみたいに 加害の面は こうです 被害の面は こうです こういう構造でした こういうこと


を考えなきゃいけませんって 全部いっぺんに教えるのは 私は無理だと 思ってるんです
1:52:11
むしろそれよりも 戦争について 考え続ける そういう意思を持つような生徒


たち 子どもたちを 育てることが大事で たかだか 1年の授業 あるいは3年間の学校生活の中で
みんな伝えられるってことは 残念ながら ないと
思うので やっぱりそういう
1:52:31
関心を持つような そういう授業って いうのは組み立てていくべきじゃないかな と
いうふうに思っています それから
1:52:37
ちょっと 先ほど出てきた 被害 加害の話で この登戸研究所(のぼりとけんきゅうじょ)
1:52:43
絡めてお話しますと ここで働いていた人 ってやっぱり自分たちが やっていたことを話せなかったって
1:52:50
ことがありますよね それはそう いう 非常に胸がつかえる思い
1:52:55
があった やっぱり 結果的に 渡部先生がさっきおっしゃったように ここは


「加害の拠点」だったかもしれないけど も 働かされていた人たちは 被害者だったって


いうそういう側面もあると思うんですね 本当に そういう意味で
1:53:30
多面的に 複眼的にいろんなことを考えてい くってことが まあ大事なんじゃないかなと いうふうに思います


🌛先ほど長崎の
1:21:16
被爆した 朝鮮人の方のお話をしましたけども やっぱりその時の
1:21:33
キム・ジョンギさん(※魚雷工場があった三菱兵器住吉トンネルの外で土をならす作業をしていた)が 「原爆が落ちて 私は助かったんだ」って「そうで なければ


三菱の工場でやはり 労働させられてた」って話でしょ 「自分はもう 死んでた 実際にそうやって死んでいった朝鮮人っていうのがたくさんい る」 


っていう そういう話をされたわけですが  やっぱり本当にその場で聞いて で長崎の
1:21:54
高校生と  語ってくれた先生は 一緒に聞いていたそうですけど も 「高校生 口ポカンと開いてた」って言いました 「なんでそんなこと言うんだろう」って  


やっぱりその 経験が
「語り継ぐ」っていう人に つながって いくんだなと思います
 
1:22:34
だから 当事者そのものではなく ても やっぱりその思いを受け止めて


一緒に語る 「語り継ぎ手」という そういうことは  私たちでもできるし これからも


取り組むことは可能なんじゃないかなと 思います 


ただ その時 心しておかなくては いけないのは やはり どんなにいろんな話を


聞いても 自分は当事者にはなれないし  同時に どういう文脈で物を


語るかってことは 語り継ぐ人間はかなり勉強する義務 があるんじゃないかなというふうに思ってる次第です



42:36
🌛そういうところも行きましたけども 同時に 元いわゆる慰安婦だった女性のいる


ところのいけるということになって マニラから車で3時間ぐらいでしたかね
42:50
南部の方に下って 小さな村に行きました そこでその
42:56
実際に 慰安婦にされたおばあさん ローラってフィリピン語ではいますけども  お話を聞きました その時に
43:04
本当に 「証言の会」みたいなものではないので  聞き手は 本当に 数人だったんですが
43:11
具体的に どんなことがあったのか 軍人たちに 「洗濯をしに来い」という


ふうに 言われて でそれでそのまま 小屋 に監禁されて 兵隊の相手をさせられたと
43:23
いうそういう話でしたけども やはり 話しながらもう  涙が 浮かんでるわけです やっぱり 思い出し


たくないことを思い出しているので
まあ そういうことをもう 目にしました で やっぱ こういうことも 伝えていかなく


ちゃいけない というふうには強く思いまし た  で そういう意味で言うと 私の


社会科の教師 乃至 歴史の教師として の原点 ってのは やっぱり人に会ってそう いう


様々な体験を聞くというところにあったか なというふうに思います



48:10
🌛 日本の近代史というのは


明治 維新以降まあ帝国として 他の国を植民地にして拡大していくという


そういう歴史をたどっていくわけですけど も そういうことはやっぱりきちんと


押さえる必要があるかなというふうに思って います 



1:30:11
🌛例えば中学校では 従軍慰安婦ってことは教科書からある時から


載らなくなりましたので 教科書に載ってないと 取り上げにくいあるいは場合によっては
1:30:22
保護者から 苦情が来るようなことがあってそれは ちょっとやはり


学問の自由というか 教授の自由に反する みたいなことが  世の中にやっぱ起きてきてるんだな というような話は聞きます



🌛1:44:43
シンガポールにはですね セントーサ島という 観光地のところがあるんですがそこに
1:44:48
歴史博物館っていうのがあるんですね 先ほどお話しした92年の ツアーで行った時に
1:44:56
多少古い時代の話からいろいろあって イギリスの植民地となってまあ マレー半島の 中国人がもちろん
1:45:04
シンガポールの中国人の多いところです けども そういうような 歴史が語られて
1:45:11
戦時中の日本の占領下にあったこと も 展示されています それでその当時は


一番最後のところに 原爆の写真があってキノコの写真があって


The atomic bomb has released us 原爆が 我々を解放した
っていう風に 当時書いてあったんですね  記憶違いかなと思って 多分 間違いなくそう
1:45:38
なんですけど それから20年以上 経ってもう1回行ってみたことがあるん ですが その時はその部分が消えていました
1:45:45
でですからそういうような なんていうかやっぱりアジアの人々っていう


のは日本の占領期 何をされていたか そう いうことは 忘れないってことはあるでしょうし
1:45:59
さきほど フィリピンへ行った話もしましたけれども その時も フィリピンの学校に行ってちょっと 地元の高校生と交流したことがあるんです
1:46:06
けどやはり まあその時はまだ 90年代 でしたので おじいさんおばあさんから聞いて 日本


の占領期を 知っている 子どもたちがたくさんいたわけですねで そう
1:46:17
いう中で 聞いた話は 「日本人は


フィリピンから いろんなものを奪う」って いうその 「奪う」っていうのは(英語で)rob(ロブ)


使ってるんですけど それを 日本人は「ラブ」( 愛してる)って聞き間違えて喜んでいたとか まあそれを 密かに陰で 笑っていた


みたいな 話を聞きましたけども そういうような
1:46:43
いろんな形で 日本の時代のことは 歴史で取り上げている それは私たちが思う


よりははるかに 韓国も同じだと思いますけども まあそう いう現象あるかなと思います



🌛46:33
でまぁそんなこんなで いろんなところを なるべく心がけていくようにして まあ自分の授業というものをどんな風に
46:41
やっていこうかというふうに考えてきたん ですけども 


そういう 中でもやっぱり


入れていかなきゃいけない要素というのは 私はあるかなというふうに思っていて


 それは先ほどちょっと言いましたがやっぱり


加害の要素ですね  従軍慰安婦のこととか それから日本の軍隊が アジアで一体何をしたのかそのことは


やっぱり絶対に 落としてはいけないだろう というふうに思っています  で一般的にまあ私たちの年代だけかもしれ
47:39
ませんけども 戦争体験ってことを考える場合 日本人の 一般的な戦争経験ってことを考えてどうし
47:46
ても 被害の問題からスタートする ことが多いと思います 原爆然り空襲然り
47:52
それから食べ物を食とかそういった ことがあるかと思いますけどでもそれは
47:58
それだけではないはずなわけですね  (被害のことは)その前のことがあって結果としてそうなっ


ている だとするとやはりその 加害のね 実相は 必ず取り上げなくてはいけない問題じゃ


ないかな というふうに思うわけです 日本の近代史というのは


明治 維新以降まあ帝国として 他の国を植民地にして拡大していくという


そういう歴史をたどっていくわけですけど もそういうことはやっぱりきちんと


押さえる必要があるかな というふうに思って います


37:39
🌛私は実は
37:45
就職浪人
のようなものがありまして 大学5年までおりました で
39:22
91年から 和光中学校の方に就職することになって
39:28
実際に 戦争のことも 教えなくてはいけないと いうことになって
39:55
そういう中で すごく もう一つ転機になった 大きな出来事というのは 1992年
40:01
3月に マレーシア シンガポール これも
40:06
当時 筑波大学附属高校で 地理の先生しておられた 高嶋 伸欣(たかしま のぶよし、1942年(昭和17年) - )先生って 方がいらっしゃいますけども  高島先生は
40:14
いわゆる有名な 「家永訴訟」の後に 改めて 教科書検問題をめぐって


訴訟を起こされた方ですが その高橋先生が 毎年マレーシア


シンガポールに フィードワークされていて  現地で 虐殺された華人の人たち その 19


世紀から20世紀にかけて 植民地支配の時期に移民してきた人たち その人たちが 太平洋


戦争が始まった時に 集められて 様々な形で 虐殺された という そういう事実を


掘り起こしておられました 


自費で 夏休み 春休み 冬休みと マレーシアに通って


そういうことを 把握されたわけです でそれ をやはり  発掘調査しながら 同時にいろんな人に案内する
41:07
ツアーというのをやっておられて  92年の3月に 私もそのツアーに


参加したわけです その時に 本当にもう自分は 何も 物を知らないんだなぁということを 思い知らされました。


※川口重雄・前田園調布学園中等部・高等部 社会科,地歴科教諭の講演についての部分起こしはこちらにあります:https://wtti2.muragon.com/entry/286.html
✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨
※今日の文字起こしのソースはこちらです

開催日:2022年7月30日(アーカイブ配信開始日:2022年09月28日~)
主催:明治大学平和教育登戸研究所資料館
◆テーマ◆

『戦争を伝える』ということ―歴史・平和教育の大ベテランから 次世代の教育者たちへ託すメッセージ―
◆内容◆
・講演 
渡辺賢二氏(明治大学平和教育登戸研究所資料館展示専門委員)
川口重雄氏(前 田園調布学園中等部・高等部 社会科,地歴科教諭)
橋本 暁氏(和光中学・高等学校校長,社会科教諭)
・登壇者3名によるパネルディスカッション
・質疑応答

※動画の視聴はコチラです(2022年09月28日~):https://www.youtube.com/watch?v=KR1-r6HqV54
※web上で時間内に答えられなかった質問への全回答がこちらでご覧になれます:
https://www.meiji.ac.jp/noborito/event/mkmht0000001o5gw-att/QandA_PDF.pdf
※明治大学平和教育登戸(のぼりと)研究所資料館のウェブサイトはこちらです:https://www.meiji.ac.jp/noborito/
✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨

×

非ログインユーザーとして返信する