ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

#摂食障害 とは(※雑学No.207,第54週,2022/10/31(月)~,B.D.+64)

✨🌒🌓🌔🌕
2022/11/2(水)
🌕🌖🌗🌘✨
朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
昨日は鶏の水炊き。明日は休みなので、今日は飲みに行きます。
夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
おかあさん、コン🦊ばんは。昨日は、お返事ありがとうございました🙇
いま、上弦を少し過ぎた半月が、南の空に明るく見えています🌓🤗11/8(火)が満月で、天気がよければ、皆既月食が見られるそうです🌕🌖🌗🌘🌑
それでは、今日からは『根っこばなし』より『 伊勢まいり🎍 ⛩ 🎌 🌄 🦐』④をお送りします😊
※前回の『 伊勢まいり🎍 ⛩ 🎌 🌄 🦐』は、
昔、長野からお伊勢まいりへの旅に出たムラの青年たちの中に、馬のお土産品から、尾張商人相手のリユース商売のヒントを得て、ムラに倉が建つのを妄想したら、神社なのに『南無阿弥陀仏』を唱えてしまいましたよ⛩🙏📿
というお話でしたね🐴
なお、『 伊勢まいり🎍 ⛩ 🎌 🌄 🦐』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇

『 伊勢まいり🎍 ⛩ 🎌 🌄 🦐』
👵👶👴🐴

どうせ 土産を 買うならば、👧🏻👦🏻

細工の こつも 覚えよまいと、🐴

その場で 一人に 四、五本づつも、🐴

重くて 長い 馬の首を、🐴

一本 残らず 買ってまい、🐴

束に 負い寝て 名古屋を 出たと。🍤🐷


桑名の にきの 部落に泊まり、👧🏻👦🏻

壁に ずらりと 立てかけたらな。🐴


「なんじゃ、それは」と尋ねたで、👫

ここぞとばかり 自慢して、🐴

もうけばなしを ぶちあげたらば、⛩ 🎌

その家の 年寄りが いざり出て 言うことにはな👴👵

(つづく)


ムラの青年たちは、馬のお土産品に夢を託して、有り金全部はたいて、大人買いしたのですね🐴🤭馬だけに馬(うま)くいきますように🎵😉🐴✨
「大人買い」と言えば、私たちはお互い、大人買いしたいものが無いというより、むしろ(物が捨てられなくて)モノは要らないってところが似合者同士ですよね😉🎁✨それでは、次回は明後日の11/4(金)になりますけども、続きをお楽しみに❓😆✨おやすみなさい😴💤✨」

With "Ryoryo"(ウイズリョーリョー)

きょうは、半月・お月見ランに行って、7,248歩(5.2㎞)走り歩きしました🏃🌓✨そのあとは、『鈴木明子が語る「摂食障害を乗り越えて」』の文字起こしをしました↓↓

✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨
放送日:2022/11/2(水)、配信:Yahoo!ニュース Voice in Session と TBSラジオ 荻上チキ・ Sessionとのコラボレーション、『鈴木明子が語る「摂食障害を乗り越えて」』、ゲスト:鈴木明子・元フィギュアスケート選手
✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨


※部分起こし

鈴木明子・元フィギュアスケート選手:https://twitter.com/Mariakko2010
やはり フィギュアスケートって ジャンプして 回転をするという 競技なので 特に女子選手って まだ体が成長しきらない時期 ちょっと 体重が増えにくい時期に ジャンプをどんどん 習得していってという流れがあって 


そうすると どうしても 高校生ぐらいからって 体型が割と 生理が来たりとかってなると 変わりやすくなってきて 今まで 跳べてたものが 跳べなくなってしまうと やっぱり 成績が残せなくなってきて 引退が 早くなる傾向が 特に最近 多かったんですよね


なので 私も やはり 高校生ぐらいの時期って 食べたい でも 競技のためには 節制しなきゃいけない っていうところがあって でも やはり 私は 上手くなりたい もっと上に行きたい という気持ちがあったので 


割と 高校生の頃から 食事を気を付けたり トレーニングを増やしたりってうことを やっていて あまり体重は 増えなかったというか 当時は がんばってがんばって まぁ親の協力もあって 増えなかったんですけど 体重に対する執着というか 太ることが物凄く怖いところは ありました


荻上チキ(MC):https://twitter.com/Session_1530 
うーん それは やっぱり 競技へのプレッシャーと ご自身が発表されている 摂食障害との関係というのは 強かったんですか?


鈴木
そうですねえ どうしても フィギュアスケートは 審美性のスポーツって言われて 衣装を着る時とか 体のラインも 出てしまいますし ただ 見た目の問題 ということよりも 競技的に ジャンプをして 着地を片足ですると そりゃ 体重500g増えただけでも 足にかかる負担って 物凄く大きくて 怪我につながるからこそ まぁコーチたちは まぁ「太っちゃ駄目だ」みたいな感じのことを 私の先輩たちにも それを言っているのを聞いていて「あ 太ったら この競技は駄目なんだ」みたいな 太ること=悪 みたいな そういう怖さをずーっと 持ち続けて やっていたなあっていうふうに思います       


荻上
摂食障害 というふうに 具体的に なった 自覚したのは いつ頃 だったんですか?


鈴木
まぁ17歳の終わり~18歳あたりですね 18歳で 大学入学した時に 初めて 親元から離れて 仙台の大学に 進んだんですけれども 親の管理下から外れるので 最初 嬉しかったんですよ 


でも 実際は ここがちょっと 私の 完璧主義的な部分だなとは 思うんですけれども 親の元じゃなくても 自分は絶対に 管理できるんだっていうところを 見せたかったというか それまで やっぱり 体重が増えてなかったことによって 「鈴木さんって 自己管理ができて 偉いよね」とか 体重をコントロール出来てて 褒められることが 多かったんですよ     


そうすると 私という人間は 太ったら駄目なんだ っていうふうに 思っていたので 一人になった時にも 私は 一人だって 絶対に 太らないで コントロールしてみせると思ったら 親がやってくれてたように 食事をきちんと 気を付けていくっていうのが だんだん 気を付けていくことが 食べることが怖い っていうふうになってしまっていって ルールが 増えすぎちゃったんですよ   


例えば 揚げ物は 食べちゃ駄目だって 次は お肉を 食べたら駄目だとか あとは 油を使った料理すら 食べられなくなってしまったりとか 自分の中で どんどん ルールが 大きくなっていってしまって 摂食障害って 拒食症だったり 過食症だったりってあるんですけど 私は典型的な 食べられなくなる方の 拒食症でした


荻上
その17,8の頃に 摂食障害がだんだん 始まっていって その後の症状や あるいは競技との関りというのは どうなっていったんですか?


鈴木
そもそも 仙台の大学への 進学を決めたのも やはり 特に 私は ジャンプが得意な選手じゃなかったので とはいえ フィギュアスケートって ジャンプが一番 得点源になるもので これを 自分は 磨かなければ この先がないと思ったからこそ コーチを求めて 仙台に 行ったんですよね  


ということは 目標はやはり 上手くなること まぁその先に オリンピックっていうものが 自分の中で あってほしいなあって 思ったからだったんですけど 結局 食事ばっかり だんだん 決めたルールの中で 食事が 食べられるものが 減ってきて 体重が 落ちていくんですけど 


最初は ちょっと ジャンプが 軽くなったような感じがしたんですね これ 壮大な勘違いなんですけど「もっと痩せたら もっと跳べるのかもしれない」って思っちゃったんですよ 


でも一方で フィギュアスケートって 凄く 体力も必要ですし 4分間滑り切るって 結構 筋力的にも 体力的にも 必要なんですけれども そこがどんどん 痩せて 落ちてきてしまって 


で 体力がないと 練習を満足に こなせなくなってきているのにも関わらず この摂食障害の 怖いところは 気づいた時に 「あ ちょっと 食べなきゃ」って すぐに切り替えられないんですよね 


もう 食べることの恐怖の方が 大きくなってしまって ちょうどいいところで「あ 今からは もう 食べなきゃ」っていうモードに 切り替えられないんですよ 


もう ここは 自分でコントロールすることが 出来なくなっているので そこが この摂食障害って 難しいところでもあって 


「あ 食べよう」とは もう なれなかったので どんどん いや 食べなきゃいけないことは 分かるんだけど 食べ方が 分からないというか どう食べていいかが 分からない   


で 練習も出来ないし 大学にも まともに行けなくなってきてしまう ちょっと 痩せてくると やっぱり 免疫が落ちてきて 風邪も 引きやすくなっちゃったり で 寒いし で そこまで行くと やっぱりもう 10kgぐらい 落ちているんですよね 自分の普通の体重からは 


でも 人間って 10kgいきなり 落ちることはなくて どんどん 落ちてきているのに それに 歯止めが かけられなかったっていうところが 私も SOSを 外に出せなかったというところもあるんですけど そこがちょっと 自分の中では 難しかったし 理解できなかった部分でも あります


荻上
当時は 医療者とか コーチとか そうした方々には なかなか 伝えられなかったわけですか?


鈴木
そうですね 異変には 気づいていて 結局 病院へ行くきっかけになったのは 大学のスケート部の部長さんが 「これは おかしいから とにかく まず実家に帰って 病院に行きなさい」って言ってくれたことが まぁきっかけで まぁ病院に行った時に 連れて行かれたというか そこが 精神科だったんですよね


で まぁ「摂食障害です」っていう 診断が出たんですけど 頑なに 認めたくなかったんですよ 病気のことを 


なぜならば 自分が 良かれと思って 痩せたんですよね なのに  それに 病名を付けられてしまったら 「あなたのやってきたことは 間違ってたことなんだよ」っていうことを どうしても 認めたくなかったんですよ 私の中で


でも 病気って 人は認めないと 治すことに つながらないんです やっぱり 風邪ひいたら つらいなあと思うから 薬飲んだり 休養したりって 出来ると 思うんですけど やっぱり まず 認めることが出来なくて 「私は 病気じゃない 自分で なんとかなる」っていうようなことを 思っていってしまったので なかなか 病院に行ったからといっても  


勿論 ちょっと 体的に もう かなり 例えば 血圧が 物凄く落ちていてしまっていたりとか 色んな 精神的に不安を煽りやすくなっていたので クスリの処方は あったんですけど 根本的な改善には ならなくて 一時的に 今の体を なんとか 保っていくために っていう形でした   


荻上
そこから 復帰するとなった時に また トップアスリートを目指すっていうのも 相当 競争が激しい世界でも ありましたよねえ


鈴木
正直 体幹 全く なくなっちゃってたんですよ 前から 後ろ向いただけで 転んだ時に これが 現実なんだなって 本当の闘いって ここからなんだなって 凄い 荊の道に 来ちゃったのかもって 思いましたし あと 今から復帰したとて 今後 オリンピックとかなんて 自分には ないだろうなあとは 思いましたけど でも 好きなものに 戻ってきて とにかく一生懸命 もう一度 この競技と向き合えるっていうところの喜びを 大切に


で 出来なくなったものでしたけど 筋力と体力は 戻ってきたから どんどん出来るようになって 戻ってきたんですよ そしたら もう一回 跳べるようになった喜びが 味わえるのって ちょっと得だなと 思ったり


荻上
一般の方の中には アスリートのように 何かを一生懸命やるという方もいれば スポーツをしてるわけじゃないけど やっぱり「完璧じゃなきゃ 愛されない 完璧じゃなきゃ 褒められない 人から怒られるのは嫌だ」っていう そうしたことで 悩んで 例えば 摂食障害だけではなく それぞれの困難を 抱えている方も いらっしゃると 思うんですね そうした方に 声を掛けるなら どういうふうに 声を掛けますか?


鈴木
今のあなたで 素晴らしいんだよって どうであれ 生きてることって 物凄く 価値があって 尊くって そこに条件なんて なんにもなくって そこに 優劣をつけることじゃないと 思うんですよね 


凄い人 見ちゃうと 比べちゃったり 私も たまに いや 自分より 忙しい人も 沢山いるからって 思っちゃって 頑張っちゃったり するところって あるんですけど 


でも ひとりひとり 顔が違うのと 同じように 人が やれることだったり 出来ることだったりって 違うんだから 


もっと 自分自身が そのままで 今 息してるだけで 凄く がんばってるよって 十分だよって 言ってあげることって 凄く 大切かなあと 思いますし


厳しすぎることは 決して いいことでもないなあと いいことも あるかもしれないけど  自分本位に 考えていいんだなって 思いました  


荻上
自分の心の中のSOS そこに 誰よりも気づけるような そんな状況を 多くの方に 確保して貰えると 嬉しいなと思います

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※今日の文字起こしのソースはこちらです:

放送日:2022/11/2(水)
配信:「Yahoo!ニュース Voice in Session 」と TBSラジオ「 荻上チキ・ Session」とのコラボレーション
テーマ:『鈴木明子が語る「摂食障害を乗り越えて」』
ゲスト:鈴木明子元フィギュアスケート選手
MC:荻上チキ、南部広美
※動画の視聴はこちらです:https://www.tbsradio.jp/articles/61542/ 
※「Yahoo!ニュース Voice」の公式サイトはこちらです:https://news.yahoo.co.jp/media/ynewstalk
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