#ラヂオは最後まで軍の願望を報じ伝えた とは #ラジオと戦争(※雑学No.499,2023/8/21(月)~,B.D.+350)
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2023/8/21(月)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
「今週は土曜日はIらと多満喜。日曜日は開院20周年でREVOさんを貸し切ってパーティーです。事務、看護師とその子ども合計19名です。☐◇も参加です。」(※☐◇:息子氏の名前)
つづいて、菟田野のお義母さん(85)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
「おかあさん、おようございまスイートポテトッ🍠🎶🥶ガクブル・・・
💛きょうは🎵歩こう 歩こう わたしは元気~🎵の月曜日ですねッ(•ө•)♡🌳🏫🎒🐈✨🎵(『さんぽ』(となりのトトロ)、3番、1998(平成10)年)(※既出😅)
💛ご存じであれば、よろしければ、ご一緒に口ずさんでくださいねッ(•ө•)♡🌳🏫🎒🐈✨🎵✨🎵
ε(c*´꒳`)🎤🎶
♪♪あるこう あるこう わたしはげんき
あるくの だいすき どんどんいこう
きつねも たぬきも でておいで
たんけんしよう はやしのおくまで
ともだちたくさん うれしいな
ともだちたくさん うれしいな♪♪
ε(c*´꒳`)🎤🎶
♪♪ゼゼゼイ…ゼゼゼイ… ゼゼゼゼ… ゼゼゼイ… (←息切れ寸前の私😱)
🌳🏫🎒🐈✨🎵
💛それでは、きょうは「洋食 Revo/天下茶屋」さんから、単品4品の「お料理名当てクイズ」をお出ししますねッ(*•ө•*)/♡
💛一応、ヒントつきですけれども、それが必要なのは、多分私だけですねッ (`Θ´)ドヤア
💛なお、前回は『根っこばなし』より『聞こえるか🏮👘☔』の最終話をお送りしましたねッ(*•ө•*)💧
💛では、まずは全体の写真をご覧くださいねッ(*•ө•*)♡
💛続いて、左端から順に、クイズのヒントをお出ししますねッ(*•ө•*)♡
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一枚目:旬〇菜のサ〇ダ🥕🥒🍅🌽
二枚目:ロ〇スト〇ーフサ〇ダ🐮🫑
三枚目:サ〇ロ〇ン〇テ〇キ🐮🧄
四枚目:ロ〇ス〇テ〇キ🐮🧂
💛それでは、答えを発表しますねッ(*•ө•*)♡
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一枚目:旬野菜のサラダ🥕🥒🍅🌽
二枚目:ローストビーフサラダ🐮🫑
三枚目:サーロインステーキ🐮🧄
四枚目:ロースステーキ🐮🧂
💛続いて、変なやりとりをしますねッ(笑)(*•ө•*)♡
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私「旬野菜のサラダは、那須がありそでナッスィング~♪🍆( ˆoˆ )/♡
大盛の牛さんのサラダに、うっしっし~♪🐮( ˆoˆ )/♡
サーロインステーキ、きゃー、すてき~♪🥩( ˆoˆ )/♡
ロースステーキもあるとはにっくいね~♪🥩( ˆoˆ )/♡」
マスター「 勘弁してくださいよ🥶ガクブル・・・ 」
✨✨
💛話変わって、「20周年🏫」と言えば、あの時5歳だった☐◇も25歳になりましたねッ🌳周りのみなさんのおかげ、そして、おかあさんとおとうさんのご協力のおかげで、ここまで来られたことに心より感謝申し上げます🙇💕引き続き25周年、30周年も、☐◇とみなさんが佳い年を迎えられますよう、お互い、まだまだ元気でいましょうよねッ😉✨それでは、明日の続きをお楽しみに❓✨おかあさんにとって今日も佳き日でありますように🐸🐢🐸🐢」
With “Ryoryo”(リョーリョー)
そのあとは、提灯通りランへ行って12,386歩(8.6㎞)走り歩きしました🏮🏃🚗🌒夜は『終戦の日に考える。戦争でラジオは何を伝え、何を伝えなかったのか』の文字起こし(要約筆記)をしました。今、ネット上でクルド人の方へのヘイトスピーチが酷くて、またそれらも「50代の人が主にやってるらしい」とちょっと聞いていて、ほんでウチは今頃「今年50代最後の年や」と気がついて、ほんなら「そんな50代ばっかりやないでぇ」と、最後にもうひとがんばりして、ちょっと声をあげてみようかなという風に思いました💦🌸↓↓
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配信日:2023年8月15日(火)、発信: TBSラジオ『荻上チキsession』、テーマ:「終戦の日に考える。戦争でラジオは何を伝え、何を伝えなかったのか」、出演:大森淳郎×荻上チキ×南部広美
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※部分起こし(要約筆記)
🌜1:05:35(※番組趣旨) 南部広美・フリーアナウンサー:https://www.tbsradio.jp/personality/nanbu-hiromi/
「終戦の日に考える。戦争でラジオは何を伝え、何を伝えなかったのか」
きょうは「終戦の日」
日本は無条件降伏勧告の「ポツダム宣言」を受諾し
78年前の1945年8月15日正午、ラジオから流された
「玉音放送」によって国民に終戦が伝えられました
当時、テレビもインタ-ネットもなく
放送メディアは「ラジオ」のみで、そのラジオも
のちのNHK=「日本放送協会」の一局のみでした
日本が無謀な戦争に突き進む過程の中で
政府や軍の意向を受け
戦争協力を訴える国策的な放送を行ってきた
と言われる「日本放送協会」
NHK出版から発売された『ラジオと戦争 放送人たちの報国』では
その「ラジオの戦争責任」について
元NHKディレクターの大森淳郎氏が丹念に取材し追及
ラジオは本当に政府や軍に強制されて
“仕方なく” 戦争に協力していたのか
戦争について何を報じ
何を報じなかったのか
元NHKのディレクターと一緒に考えます
🌝1:08:43 大森淳郎・元NHKディレクター(昨年退職)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000742.000018219.html
サブタイトルは「報いるに国」と書いて「報国」です
1941年の12月8日 つまり太平洋戦争開戦の日 この日に
「日本放送協会」会長の小森七郎さんが全職員を前にして
「諸君は 今日よりいよいよ 滅私奉公の大精神に徹して
相共に渾然一体となり放送報国の大使命に全力を挙げて
邁進して戴きたいのであります」
https://mag.nhk-book.co.jp/article/34353
という訓示をしておりその「放送報国」という言葉から
「報国」というのを タイトルに引っ張ってきました
🌝1:11:15 大盛
僕たちの 大先輩は
仕方なくやったんじゃない
ありと あらゆる ジャンルで
ドラマであれバラエティであれ
ニュースであれ
どうすればより効率的効果的に
国民を 戦争に 動員できるか
全身全霊を傾け努力し実践してきた
まさに積極的に やったことだった
🌝1:12:23 大森
「日本放送協会」とNHKとは
組織形態というよりもそもそも
寄って立つ法律が 180度違う
当時の「日本放送協会」は「無線電信法」
その第1条に「政府はこれを干渉する」とあった
現在のNHKは1950年にできた「放送法」
その第1条は「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、
放送による表現の自由を確保する」
第3条は「何人からも干渉され、又は規律されることがない」
ただそれは言ってみれば
外形的に違うということ
でも今その話を始めるとおそらく
最後の時間まで 行ってしまう
🌝1:14:28 大森
生放送で当時録音は殆どしなかった
まずは そういう意味で難しかった
輪をかけて それらを
敗戦時にすべて燃やした
当時内幸町(うちさいわいちょう)に
ビルがあった「日本放送協会」が
「黒い煙に包まれていた」という
証言が多数ある
まあ 燃え残った資料と
僕らの大先輩たちが延々と
方々に散らばってる資料を
集める努力をしてこられて
或いは 確か1980年代だったと思いますが
東京の古物商の倉庫からニュースの原稿が
1943年の9月の6日分だけゴソッと出てきて
🌝1:19:21
高橋映一さん という方が
所謂 ラヂオ少年だったんで
自分で録音機を作っちゃった
それを完成させたのが
1944年の もう 夏で
もう ほぼほぼ負け戦
そういう時期だったから 彼は
サイパン島の陥落を伝えるニュースだったりとか
硫黄島の玉砕を伝えるニュースだったりとか
そういう音を 録音盤に残していた
それを聴いたことは凄く大きかった
🌝1:21:12 大森
それまでのアナウンサーの方法論は
業界の言葉で言うと 「淡々調」
「とにかくニュースは事実を淡々と伝えなさい
そこに主観を交えてはいけませんよ」という
それが 太平洋戦争を境に
「雄叫び調」に変わったと
これが割とNHKの中でも語られてきた歴史
で 僕は 「それは 違うだろう」と
「アナウンス読本」という 要するに
「淡々調」の理論書自体は
太平洋戦争の始まる直前の
1941年のできたものだが
実際は 日中戦争の中から
だんだん だんだん
理論化されていったものだ
つまり 「戦争なのに淡々と読む」じゃない
「戦争だからこそ 淡々と読んで
そうとはわからない形で国民を戦争に導く」と
そういう理論を当時のアナウンサーが考え出した
🌝1:27:09 大森
サイパン島で勿論 部隊は全滅し
それは 発表でも そうだった
「在留邦人も終始軍に協力し概ね将兵と運命を共にしたものであります」
と ラジオは伝えた
「住民は当時サイパンに2万人
主に 沖縄出身の方々が
サトウキビなどを作って
暮らしておられた
そういう方々も 殆どが
軍に協力する形で死んだ
立派である
自分たちも彼ら彼女らに続こう」と
だけど 実は 半分は
アメリカの施設に収容されていた
宮本吉夫さんというNHK情報局に勤務していた方が
戦後 NHK放送文化研究所で聞き取り調査を行って
「軍の方から『住民は男も女もみな 玉砕したと
放送してくれ』と言われた」との証言をとった
軍は何でそんなことをしなきゃいけなかったのか
「これから 本土が戦場になるんだ
その時 住民がスタコラ逃げ出したら戦争にならん
だから 全員死ぬまで戦うんだという見本に
(サイパンは)しなきゃいけないんだ」
という考え方が軍の方にあった
だからサイパン陥落の翌日には
こういう歌 出してんです
「泣け怒れ 讃えよ褒めよ
武器執りて起ち得る者は
武器執りて 皆戦えり
後には 大和撫子
紅に咲きて匂いぬ」
(『サイパン殉国の歌』3番/作詞 大木惇夫/作曲 山田耕作)
https://www.youtube.com/watch?v=E4w1-_kOvmA
崖から 飛び降りる
有名な女性の映像を
見た方も多いと思いますが
あのことを歌っている
「紅に咲きて」と つまり
飛び降りて死んだ女性の鮮血を 見事だと
彼ら彼女に続きましょうと
サイパン陥落翌日もラジオはこういう歌で
実際に起こってた事実を伝えるのではなく
軍の願望や日本国民のあるべき姿を報じる
役割を果たしていた
🌝1:32:29 大森
別の日 1944年10月3日の特別番組放送は
これはまさに日比谷公会堂からの生中継で
サイパンが落ちてこれからレイテ決戦だと
この「起(た)て一億の夕」という言葉が
この時期になるとまあ割と頻発してきます
それがやがて 「一億体当たり」だとか
「一億特攻」だとかの言葉になっていく
こっから先はもう本当に負け戦の
時代になっていくわけだけれども
ラジオは ずっと ずっと
敗戦まで 勝てる勝てると
負けない負けちゃいないと
最後は もう特攻でと ラジオは
最後まで国民を引っ張っていった
しかも 死ぬことこそに価値があると
死ぬのが偉いということも ラジオは
歌やニュースの伝え方で伝え続けていた
🌛1:33:29 荻上チキ・NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表。「社会調査支援機構チキラボ」代表:https://twitter.com/torakare
さて ここまでは
ラジオが いかに 戦争に加担したのか
具体的にいかに戦争を盛り上げていったのか
或いは国民を煽っていったのかを伺ってきました
では ここからは 当時ラジオは
何を伝え 何を伝えなかったのか
その辺りを伺っていきたいと思います
🌝1:35:45 大森
当時の「日本放送協会」には
独自の取材能力は なかった
当時 「同盟通信」という国策通信社があって
その「同盟通信」から配信された記事を使って
「日本放送協会」報道部はニュースを出していた
その報道部にいた人が
当時の放送関係の雑誌に
こんな風に書いていた
「同盟通信を使っても
同盟通信以上の国策的効果が上がれば良い
我々編集者は常に 同盟通信以上の効果を
上げるために工夫し努力しなければならぬ 」
実際 先ほど話した東京の古物商の倉庫から
80年代に出てきたニュース原稿を見てみると
「同盟通信」から配信されてきた
活字で打たれた原稿 そのものに
「日本放送協会」の報道部が
手書きで削除したり 或いは
書き加えたりしていた
🌝1:38:24 大森
勿論 長いから削んなきゃいけないっていう部分はある
しかし どういうところを 削られたのかを見ていくと
ある共通点があった
例えば 南の島で 敵の圧倒的な物量の下に
日本軍の手足がズタズタに苛まれているとか
或いは 敵の圧倒的な鉄量の下に
日本軍は血の力で戦っている だから「鉄対血」だ
という所は 削られている、カットされてる
自分たちのお父さんやお兄さん或いは恋人
そういう人間が 南方のジャングルの中で
まあ手足がちょん切られて血を流している
なんてことは ラジオは絶対伝えなかった
遺族の心情を考えてその放送が
できなかったわけではなかった
国策で作られた「同盟通信社」のものですら
更に 選択して より煽り より隠していた
削るだけじゃなく 書き加える事もしていた
ニュースの書き換え方の教科書、
マニュアルというものまであった
🌛1:43:15 荻上
これは 本にも色々事例がある中で 例えば
日本の場合だと 敗戦、戦闘で負けたんだけれども
これは「転進」だと表現されたのは有名な話ですが
例えば ドイツとソ連の戦いだと
ソ連が作戦変更して別の所から攻撃するように
それこそ 「転進」したにもかかわらず
日本側としては「逃亡」という趣旨で報じたなど
国民を有利に有利に誘導していこうとしていたと
🌝1:45:34 大森
そもそも 広島や長崎については
大本営という所は 国内向けには
被害については殆ど放送していない
でも これ 国際的には
むしろガンガン放送した
広島、長崎での被害が
いかに非人道的な兵器によるかを
国際的には放送していた
それによって降伏の条件を
有利にしようと考えていた
どんなことが起こっていたのかを
重々 知っていたにもかかわらず
国内的には一切報道しなかったのは
国民の志気をくじくからですよね
それは「日本放送協会」の一存ではなく
政府軍の情報局とかの方針に
乗っ取ったものだったとは思いますけど
🌝1:46:58 大森
8月15日になれば
もう広島、長崎を伏せとく理由はないわけですから
もう 降伏しましたって放送しているわけですから
現に 毎日新聞なんかは 社会面全面使って
広島の被害を 15日に伝えてるんですけど
これも「同盟通信」の記事にある
「残虐非道の殺戮」とか そういうことを
割と丁寧に削っている節があった
どうしてなのかはちょっとよくわからないんですけれども
ただ 当時 内閣情報局の総裁だった下村宏さんという方が
「情報局としても広島、長崎の被害を最早積極的に伝えようと考えたんだけれども
内務省からちょっと待てというブレーキがかかって (ラジオでは)できなかった
新聞には 自由に書いてもらった」
と 戦後の回想禄で書いていた
内務省がなんでそこまで慎重だったのかっ所までは
まだ ちょっとわからないんですけども
🌝1:50:00 大森
「玉音放送」の宣言の伝え方も
例えば 「同盟通信」の記事は
「戦争犯罪人」という言葉を使う
でも ラジオのニュース原稿は それを
「戦争責任者」という言葉に書き換えて放送してる
柳沢恭雄さんという当時の報道部の人が
『戦後放送私見』の中で
🌝1:52:19
ポツダム宣言の受託に関連したことで言うと
じゃあこれを国民にどう伝えるのかっていう所で
当時逓信省(ていしんしょう)っていう、今は逓信院になっている所の
役人の方で尚 裕(しょう ひろし)さんという方がいらっしゃるんですけど
その方の敗戦前後の業務日誌を読んでて
びっくりしちゃったんですけれども
手書きのメモでこういう風に書いてあった
「情報局の世論指導方針
国民全部の罪と指導しようということ」
だから情報局っていうのは「日本放送協会」と一体になってるわけですけど
そこがまあそれまで とにかくこの戦争は勝てるんだと
勝たなきゃいけないんだと
そのことを伝えるためには
もう嘘でも何でも やってたわけです
で その結果300万人以上の日本人が死んで
で それを遥かに超える人数のアジアの人たちが
命を失ったんです
それが この戦争の負けが決した瞬間に
「国民全部の罪と指導しよう」と
これが 情報局の考えた指導方針だった
ということなんですよね
だから本当にびっくりした
🌝1:55:05 大森
当時 実際に出た放送を
ちょっと読んでもいいですか
国体護持の最後の一戦は確保さ れたとはいえ
我らの力足らずしてここに至ったのであります
しかしこの悲痛な事実を招いたのは
今やいずれの人の責にも帰すべきではあり ません
国民の一人一人は強い自責の念以て
この現実を直視しおほらかな心もて
傷つける戦友をいたわり
深い友愛心もて相共に扶け導き
もってこの国家民族最大の苦難を
打開しなくてはなりません
天皇が「耐え難きを忍び」と
玉音放送しているわけです
それに対して
天皇に謝らなきゃいけないという
これは セットでの答え方でした
300万の日本人が死んだ挙句
努力が足りなかった
忍耐が足りなかった
ということ これが
正しい答え方でした
🌛1:57:18 荻上
所謂 戦時中の煽る報道だけではなくて
その後の様々な態度も含めて
どういったふうに放送が関わったのか
この辺り大森さんの本に書かれてますので
ご著書『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』の
綿密な取材をぜひ活字でお読み頂きたいと思います
ありがとうございました
※今日の文字起こしのソース(情報源)はこちらです:https://www.tbsradio.jp/articles/73543/
配信日:2023年8月15日(火)
発信: TBSラジオ『荻上チキsession』
テーマ:「終戦の日に考える。戦争でラジオは何を伝え、何を伝えなかったのか」
出演:
大森淳郎・元NHKディレクター(昨年退職):https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000742.000018219.html
×荻上チキ・NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表。「社会調査支援機構チキラボ」代表:https://twitter.com/torakare
×南部広美・フリーアナウンサー:https://www.tbsradio.jp/personality/nanbu-hiromi/
※動画の視聴urlはこちらです:https://www.youtube.com/watch?v=GWY7AiCh1tw
※関連動画のご紹介はこちらです:https://www.youtube.com/watch?v=TOoRRuyFUyY
※関連図書のご紹介はこちらです:https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784140819401
『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』 / 大森 淳郎/NHK放送文化研究所【著】 /NHK出版(2023/06発売)