Σ(´ω` )義母とワタシの往復書簡①ヽ( ´ω`)人(´ω` )ノと、白狐のおばあさま。笑
(=*δ_δ=p{ワタシより義母へ}q=゜w゜=)
7月11日(火)
今日は、府立弥生文化博物館の特別展「沖縄の旧石器人と南島文化」と
常設展を見て来たですよ(*´ω`*)
数ある猿人類の頭骨の中でも 世界最古の猿人の頭の小ささが 図抜けていて、
(滝川人)
なるほどなるほどと なっとくいたしましたよ(*´ω`*)?
(滝川人)
それでは 今夜も お風呂でさっぱりして 気持ちよくお休みください(*´ω`*)
♡また明日♡
トウサンさんの頭の骨は ゆうに この4倍はあるかなあ?(※誉め言葉であります)
(=゜w゜=p{義母よりワタシへ}q=*δ_δ=)
7月11日(火)
今日も暑く一日過ぎました
今日のメールで思いだしたことあるの
兄ちゃん(※トウサンのこと)二歳ぐらいの時かなぁ
きれいな品のあるおばあさんから言われた事あるの
この子(頭が大きいから)いい子なるよ?
親ばかまだ続いているみたい
親はいつまでたっても子は子 思い出はなつかしい
ありがとう おやすみ
(=*δ_δ=p{ワタシより義母へ}q=゜w゜=)
7月12日(水)
そんなよいことがありましたかΣ(´ω` )
お話してくだすって どうもありがとうございました(*´ω`*)
今日は、曇りがちで 一日中、風も強く 少しだけ涼しいでした。
明日の予報は36℃あるそうです。
おかあさんの体温(平熱)以上、あるのかなあ?
怖い思いをさせてしまってすみません(´ω`°)
なるべく、お外には出ないようにして
お家の中の 涼しいところで
明日も 存分に楽しく元気で おすごしくださいね(*´ω`人´ω`*)
おやすみなさいヽ( ´ω`)人(´ω` )ノ
(=゜w゜=p{義母よりワタシへ}q=*δ_δ=)
7月13日(木)
このまえ変なメール 意味のわからない事だったよね
又いつか面白く話しするから 楽しみに
(=*δ_δ=p{ワタシより義母へ}q=゜w゜=)
7月13日(木)
今日はお昼間にメールを、どうもありがとうございましたヽ(*´ω`*)ノほっといたしました
猛暑の一日も ぶじにのりきることができて、ほんとによかったですねえ(´ω`°)ぐす
明日からも、また 34℃~32℃台の暑さが続きますけれども
のどがかわいたなあと思う前に、冷たいお水をのんで
存分に楽しく元気でお過ごしくださいね(*´ω`人´ω`*)
ところで
おとつい、話していただいたお話には、まだ、奥に隠されたひみつがあるですか?
お話大好きなので、楽しみにしてるですよヽ(*´ω`*)ノ
それではおやすみなさい
(=*δ_δ=p{ワタシより義母へ}q=゜w゜=)
7月14日(金)
おかあさんへ
今日は、「葛の葉子別れ伝説」にゆかりのある
葛葉稲荷( 信太森葛葉稲荷神社)へ行って参りましたよ(*´ω`*)
文学作品や、歌舞伎・浄瑠璃・文楽・瞽女唄で、たいへんおなじみの地域でした。
そこから、石畳の道をまっすぐすすんだところにある
「信太の森ふるさと館」の展示パネルには、
「和泉市には 葛の葉伝説の影響を受けたものと考えられる物語が 2つ残されていて、
それらは安倍晴明の出生物語とはなっていません。」とのご説明があり
(身元がバレて、ではなく)
自ら名乗って 子別れした母狐の伝説が紹介されていましたヽ(*´ω`*)ノ
写して帰りましたので よろしければ
明日の まだ日が高いうちで、お時間潰ししたいなあと思った時に、お読みくださいね(*´ω`人´ω`*)
少し長いですので、今すぐ(夜)読まれると目を悪くしてしまいますので(´ω`°)
それでは おやすみなさいヽ( ´ω`)人(´ω` )ノ
『昔、摂津の国住吉の里に、阿倍保名(やすな)という人がいました。
妻は葛葉姫(くずはのひめ)といったが身体が弱く、たびたび里に帰って養生していました。
保名は日夜心を悩まし、神の助けによって一日も早く妻の全快と俊児を授けられんことを、当時最も信仰者の多かった信太明神(聖神杜)に祈願し、三十七日間おこもりをし、白玉を得、斉戒沐浴して池の堤に立っていました。
すると水面に白狐がうつり、不思議に思って後ろを見ると一匹のねずみ(実は傷ついた白狐)が走ってきたので、このねずみを袖にかくまい、しばらくして山中に逃がしてやりました
(※聖神杜境内には、この伝承に由来するねずみ坂 と鏡池ー現在は神杜の所有ではないーが残っています)
保名は満願の夜、疲れて社殿でいねむりをしていると、冠をかぶった白髪の老人が夢にあらわれて、
「汝の日頃の信仰はほとんど寝食を忘れるほど誠意であり、願いは必ず成就する。
妻の病気は全快し、俊児も近々賜るる、すこと憂うることはない」
とお告げがありました。
保名は神心肝に銘じ、なおも深く祈願をこめて家に帰ったが、翌日の夕方に妻は元気な様子で帰ってきました。
保名は本当に信太大明神のお告げどおりだと、たいへん喜んで妻を迎えました。
それからというものは楽しく日力を過ごし、妻はまもなく懐妊し・月満ちて男児が生まれました。
夫婦の喜びはひとしおで、掌中の珠として愛育しました。
百余日を経たある夜、家中が光り輝き、驚いて眺めていると、妻は白狐神となって
「我こそは信太大明神と議(はか)り仮に汝の妻となり願いの如く俊児を授けたる。今は神のおぼしめし告げる時が来て帰らねばならない。大切に育てるべし」
と告げるやいなやいずこかへ消え失せました。
保名はありがたさにむせぶうちに夜が明け、雨戸を開いて障子を見ると、文字が書き付けてありました。
これが世に知られる
「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」の和歌です。
その後、本当の妻も病気が治り帰つて来て、二人でその子を大切に育てました』
(=゜w゜=p{義母よりワタシへ}q=*δ_δ=)
7月14日(金)
なんだかこころが変な感じ
兄ちゃん(※トウサンのこと)は偉くはないけど
〇がつく(※名前の一字に共通の幹事がある)し
兄ちゃんに声かけしてくれた人も
髪が白くて
とても品の良いおばあさんでした
今もはっきり目にうかぶわ
なんだか偶然昔思いだし
だから気を 引き締めて 生活せよと言われたかんじ
みんなからだにきいつけて生活しょうね
いい話し 楽しかったなあ ありがとう
(=*δ_δ=p{ワタシより義母へ}q=゜w゜=)
7月15日(土)
おかあさんへ
そのおばあさまは、白狐さんにまちがいないと思うですよ(*´ω`*)✧
おかあさん、
陰陽師と呼ばれていた 阿倍晴明さんの「葛の葉伝説」を大々的に広めたのは、
当時、声聞師・唱門師(しょもじ)と呼ばれ
祝福芸を見せながら 暦を作って 売り歩いたりしていた
民間の陰陽師の人たちだったです。
それで、その昔、ワタシは
「どうして みんな 晴明のことばかりを誇りにして
歴史の重要な役割を担った しょもじの人たちを誇りにしないのだろう?」
などと、(面と向かっては言えないことを、インターネットのHPで)
うがった発言をしたことがありました。
翌晩、通りすがりの方から パソコンに
「偶然ですが、先週、『芦屋道満大内鑑 (あしやどうまんおおうちかがみ)葛の葉子別れの段』の上演を観て来ました。大変感動いたしました。まだご覧になっていなければ、ぜひとも一度ご観覧ください」
ではじまる、(発言をすこしも咎めずに)活気溢れる書きこみがありました。
通りすがりさんのコメントは、
続いて、歴史的なことがらについて触れられ
その中で 声聞師を 歴史の表舞台に引き出したあとで
「とにかく『葛の葉子別れの段』は、素晴らしかったですよ!信太村出身の私が言うのもなんですが(笑)」
と言って、閉じられていました。
通りすがりさんは ワタシにとっての 白狐さんだったのかなあ?(*´ω`*)✧
それでは、前置きがたいへん長くなりましたが
「信太妻」の伝説も写しとってきていたので 今からお送りします。
よろしければ、お昼が済んで、
これから ゆっくり tea time というときにでも
のんびり お読みくださいね(*´ω`*)
それでは、またのちほど~ヽ( ´ω`)人(´ω` )ノ
『今より千余年前朱雀天皇の御頃、現在の大阪市阿倍野の里に阿部保名(阿部仲麻呂第七代の孫)という美丈夫が住んでいました。
父は元その地一帯の豪族であったが悪人のざん言にかかってその所領を没収せられました。
保名は何とかして出世して家名を再興したいと思い、世に霊験あらたかと聞いていた信太森葛葉稲荷へ日参することにしました。
ある日念じ終って帰途につこうとすると一本の流れ矢が飛んで来て傍らの杉の根元にフツと立ちました。
これは何事かと思う間もなく逃げ場を失った一匹の白狐が走り来り、保名の後にかくれ、救を求める様子でした。
元来なさけ深く賢こい保名はこれこそ大神の御命婦であると直感し傍らの石を楯として後の草むらへ白狐を隠し、自分はその石に腰を腰を降ろして静かに憩うて居る体を装うのでした。
折からドヤドヤと駈けて来た数人の狩人は「我々は只今一匹の白狐をここへ追い込んだが貴殿は見なかったか、見ないとは云はさぬ」と問い、かつ、なぢるのでしたが
保名は断固として突っぱねたので、狩人等に叩かれ、秘術を尽して闘ったが多勢に無勢で数ケ所に手疵を負い、その場に倒れてしまいました。
狩人達が他所を探しに立ち去った後、御神木楠ノ樹の下から見るからに神々しい一人の女が走り出て保名の疵に手を当ててかいがいしく介抱しました。
保名は嬉し涙にくれながら礼をいうと
妾はこの森に住む葛の葉と申すもの、そなたを阿倍野まで送りとどける程に一挺の山駕を雇うて来ると申すので、
保名は彼の女が名乗りもせぬのに我が住居まで知って居ることに不審を抱きながらも
唯夢うつつの如く駕にゆられて立帰るのでした。
保名は早速近くの医者を招き手当を致しましたが、其の夜から発熱が甚だしく枕も上らぬ始末でした。
保名は葛の葉の姿が目の先にちらつき、
何人の娘であろう早く快くなってお社へ詣ったら又逢うこともあらう、あの娘も毎日お社へ詣るのであろうかなど
思いは信太の森へ通うのでした。
鴬の声なかりせば雪消えぬ山里いかて春を知らまし。
今迄は家の再興と云うことが一心になって、女の事など考へて見なかった保名も、葛の葉の姿を一目見てよりその事ばかり思いつめ、心は信太の森へ飛びつつも自由にならぬ我が身を腹立たしく思うのでした。
それから二、三日した或る日の夕暮れ時、意外にも葛の葉が見舞に来て呉れました。
葛の葉は
「女手が無くては何かと御不自由と思いますれば、暫らく泊って御手伝い致しませう」
との事に保名の喜びはいかばかり、感謝の言葉も俄に口へは出ぬ程でありました。
医師の手当と葛の葉の痒い所へ手の届く介抱に日一日と快方に向い殆んど全快に近づきましたが葛の葉は帰ろうとはいたしませんでした。
「それ男女和合は天地自然の理にて森羅萬象何ものかこれなからむ」
保名と葛の葉も互の心が通じ合い、いつしか離れられぬ仲となり夏去り秋去り、
その年の暮には葛の葉は保名の種を宿し妊娠の身となっていました。
「歳月は流れる水の如し」とか保名と葛の葉の間にもうけた一子、
童子丸(後の阿部正明)は疱瘡も無事にすみ早や五ツの春をむかえたのです。
その秋も中頃、葛の葉は我が子を寝させ秋風の肌に快よいまま椽先に腰をおろし、庭に咲き乱れた乱菊の花を見るにつけ、六年前立ち出たまま帰らぬ信太の森の棲家のことなど恍怱と考えるうち、いつしか神通力がゆるんだのでしょうか、化性の姿を顕したのに少しも気がつきませんでした。
童子丸「母様こわい」とワッと泣き出す童子丸の声に、ハッと我に帰った時にはもう取りかえしがつきませんでした。
その夜いよいよこの家を去る決心をした葛の葉は我子の寝顔を打ちまもり、
葛葉「これ童子丸、今この母が申すこと寝耳にしかと聞き覚えよ、我はもと人間ならず、六年前信太の森にて悪右衛門(狩人の隊長)のため狩り出され、死ぬる命を汝の父保名どのに助けられし狐ぞや、その恩にむくゆるもさる事ながら保名殿は信太の森大明神に信仰なし、阿部家の再興を念じたまう故にその真心を感応ましまし、我は稲荷大明神の仰せをうけ仮に女の姿と変じ保名どのと契りを結びそなたをもうしうけしは、阿部の家名を興さしめんためなり、それ夫婦親子の愛は愚痴なる畜生三界とて変りないぞや、せめてそなたが十になるまで居りたけれど我が本性を見られし上は、しばしも止り難たし、これから後は父上の云うことをよく聞いて手習学問に精出し仁義の道を忘れずに成人せよ、そなたにあげるこの賓玉は大事にして肌身離さず持たれば必ず役立つこともあるぞ」
と童子丸の枕元へ置いて立ち上がりましたが、今別れてはいつの世に又逢えるかと別離の涙にくれたことでした。
せめて夫への形身に一筆書き残さんと傍らの障子に口に筆をくわえて書き残したのが、世に有名な左の一種です。
恋いしくば尋ねきて見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
かくして葛の葉は「我子よ、我夫よさらば」と絞る悲痛の声と共に白狐の姿と変じて行方も知れず飛び去ったのです。
この物音に目を覚ました保名は、葛の葉の姿が見えぬので驚きあたりを見廻すと、傍の障子にかの歌が書いてありますので、
保名「サテは今のは正夢であったか、六年このかた連れ添うて来た妻の葛の葉は稲荷大明神の御神慮を蒙りし白狐の化身であったのか」
有難くとも辱ぢけない、さりながら今日より母のいない童子丸がいとしくて男泣きに泣きいるのでした。
保名はなおも諦めきれずその日童子丸を連れて信太の森に詣でてみますと今まで無かった葛が社頭一面に生い茂っているのでした。
保名は有難さ、忝けなさにこの葛の葉(当社の紋章)を給はり童子丸のお守りとして養育しました。
この祈子こそのちの阿部晴明です』 (※拝借しました)
それでは 今日も一日ご安全で:*:°・☆ヾ(δ_δ。)ノ~☆・*。.:*・゚☆ぼちぼちゆっくりと~