ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

ハンセン病資料館の活動から考えたこと 佐川修さん(つづき)





(前回へのリンクです)




2004年リバティおおさか・インタビューより

“ハンセン病資料館の活動から考えたこと ”

佐川修さん






大谷藤郎先生がいたおかげで、「らい予防法」の廃止の時には、色んな方々からの支持を受けることが出来ました。


https://www.youtube.com/watch?v=E54IzKNOI5o




そして、1996年(65歳)、「らい予防法の廃止に関する法律」施行に漕ぎ着けました。


https://www.qab.co.jp/news/2011011324093.html





その、大谷藤郎先生が、熊本の「らい予防法違憲国家賠償訴訟(1998~2001)」で、原告団、被告団双方の証人として証言を頼まれ、両方とも引き受けて、証言をするために、熊本地裁へ行かれることになったのでした。



私も、東京の弁護士と一緒に傍聴に行きました。


そして、大谷藤郎先生が、午前中は原告団、午後は被告団の証言に立って



「自分は長年厚生省の役人をやってきたけれど はっきり言って 日本のハンセン病政策は重大な誤りを犯した。自分は良かれと思っていろいろやってみたが それはみんな小手先の事に過ぎなかった。本当に患者さんたちには申し訳なかった」


と言われて

2001年(70歳)5月11日に、あの画期的な熊本判決が出ました。



http://eikojuku.seesaa.net/article/210871545.html



ところが、マスコミは、

「これは当然、国が控訴して示談に持ち込むだろう」

という報道を盛んに流しました。




けれども、5月23日に小泉首相が、

「異例なことだが、控訴はしない」

と言い


それを聞いて私は、

「ああ、やっぱり良かった。これで大丈夫だ」

と思いました。


https://www.qab.co.jp/news/2011033026901.html




ハンセン資料館について、私が、他と少し違うなと思うことは、来館者の6割近くが、看護学校の生徒さんや 同和人権学習の生徒さん等の団体客であることです。


若い頃から、ハンセン病について知って下さることを嬉しく思います。


https://www.youtube.com/watch?v=uFIv35qkvu0




(一般、医療・看護学生編)佐川修さん講演/語り部活動 - YouTube




教育委員会の人達が、関心を持ってくれて、集会や外へ講演に行く機会、啓発の場をうんと与えられたことも、


ハンセン病資料館が出来てから、関心がうんと高まって、本を買って行ってくれる人が増えたことも、大変いいことだったと思います。




最後に、ちょっとアニメ監督の宮崎駿さんの事をお話ししたいと思います。


宮崎駿監督、ハンセン病資料館で元患者との思い出語る



宮崎監督は当時、多摩全生園(ぜんしょうえん、東京都東村山市)の裏の方に住んでいて、ある時、監督が夜10時頃に、全生園の納骨堂で腕を組んで、考え事をしているのを、うちの入所者が見かけました。



その後、『もののけ姫』と更にそのあと『千と千尋の神隠し』が出来たのですが、映画を観た人が 

“あの中にハンセン病の事が出ているよ” 

と言いました。




それで、私が監督に 

“映画を観たいけど、何とかなりませんか” 

と言ったところ、フィルムを無料で貸して頂けたので、市民、学校の子ども達を呼んで、2回上映しました。




その、宮崎監督が、全生園の中を見て回り


 “木造建築で 価値ある建物が幾つもある。そういう建物は将来、皆さんがいなくなっても 是非残して欲しい。その運動をするなら、私も応援します” 


と、1千万円の寄付を申し出てくれたので、私たちも、確かにそうだということで着手しました。



宮崎監督は、映画を作る前、ハンセン病資料館にも立ち寄っていました。






いま、私は、


“やがて入所者が一人もいなくなるその時に 果たして皆さんは ハンセン病資料館に来てくれるだろうか” 


と考えています。



いつまで 続くか分かりませんが、何とか皆さんに知って頂き、ハンセン病の歴史を正しく理解して頂き、二度と、他の障害者や 難病の人たちに 偏見や差別を起こさないための啓発の基地として、ハンセン病資料館が残っていくことを願います。



(中学生編)佐川修さん講演/語り部活動 - YouTube



まぁ、全生園の入所者の平均年齢は、84.5歳なのですけれども、私は、73歳を過ぎたばかりなので(2004年当時)、もうちょっと頑張ってみようかなと、そう思っているところです。



学芸員さんたちには、私はいつも


 “もう20年もしたら、日本のハンセン病患者は おそらく殆どいなくなるでしょう。でも、難病や 障害者や 老人の人たちは ずっと残っていきます。そういう人たちに 偏見や差別を起こさないよう ハンセン病の基地を教訓にして、ぜひ、ここで啓発活動をし続けてほしい” 


ということをお願いしています。




まあ、どうかみなさんも、このハンセン病資料館が 私たちがいなくなっても ずっと残っていけるように、周りの人に 


“一回行ってみなよ” とか


 “昔、日本にはこういうハンセン病っていうのがあって 色んな闘いや 色んな事があったけど こういう 人権問題を話す啓発基地だから あすこへ一回 行ってみなよ” 


とか言って勧めてくれれば、大変有難いと思います。




佐川修さん
1931 - 2018.1.24

(満86歳没)


<完>








お時間頂き、どうもありがとうございました🙇


柚子湯でほっこり♨ https://kichitarou.muragon.com/entry/41.html


今日も、皆様にとって、私にとって、素敵な一日となりますように‼




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