ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

わがままじゃないです( ˙꒳​˙ )3.11帰還困難区域の方々との向き合い方(※雑学No.706,B.D.+192)

地震関連のニュースはドキドキされる方もおられるかと思います。余裕のある方はよかったらお読み下さい
🌟🌛🌝🌜✨
2024/3/15(金)
💜🌊🍂🎼💐


朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
「水曜日は仕事終わってから天下茶屋のRevo。昨日はホワイトデーにみんなに配るカヌレを購入。今日は午後から☐◇が来て、そのまま泊まって明日も出勤です。」(※☐◇:息子氏の名前)


つづいて、菟田野のお義母さん(86)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
おかあさん、おはようございまスミレ~💜🥶ガクブル・・・


💛さて、きょうは🎵秋を愛する人は 心深人~🎵の金曜日ですねッ(*•ө•*)/♡💜🌊🍂🎼💐
(『四季の歌』③番、昭和46年(1971))


💛ご存じであれば、よろしければご一緒に口ずさんでくださいねッ(*•ө•*)/♡💜🌊🍂🎼💐


ε(c*´꒳`)🎤🎶
  ♫秋を愛する人は 心深き人
    愛を語るハイネのような ぼくの恋人♫


ε(c*´꒳`)🎤🎶
♪ ゼゼゼ… ゼゼゼゼ… ゼゼゼイ…♪(←息切れ寸前の私😱)💜🌊🍂🎼💐


💛それでは、今日は『根っこばなし』より『飛び立つ鳥🦅🪶』(第10回)をお送りしますねッ(*•ө•*)/♡


💛ちなみに、前回(昨日)は、
「明治の始めに、身分が無くなるとのお達しが出た後、飛騨、美濃の北部のムラは
山里の仲間にもそれを伝えようと飛脚を送った所、耳ざとい仲間は知っていた上に、
役人に『今後我々を蔑む名称等で呼んだ場合はその顎を砕かて貰うので』と告げて
全員家を引き払っていた事がわかり、北部の年寄りたちは『挨拶なく行ったがそれ

も道理だ』とぽつりぽつりと昔語りを始めました
というお話でしたねッ(*•ө•*)/♡


💛なお、『飛び立つ鳥🦅🪶』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、
物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます🙇↓↓


『飛び立つ鳥🦅🪶』(第10回)


「朝日も夕日も見ん鍋底で、限り米あつめて こき使われて、
猟師に飼われた犬よりおとる 一代ならば、このどさくさの
世の中に まぎれこむのも 方便じゃろと 腹くくったかよ。


あのいつれ、親の墓さえ 捨てる気じゃ。わしらに 迷惑
かけぬ気じゃで、便りを待っても、便りはこまいて」とな。


(つづく)
✨✨✨


💛話変わって『秋を愛する人は 心深き人~』と言えば
ちなみに私は秋生まれなんですけれども、正反対の
浅はかな性格なので心深き人になりたいんですよ😆


でも『四季の歌』はどの季節を愛する人も「よき心の人」
と言ってくれる所がフェアでいいですよね💜🌊🍂💐


お互い、「フェアでワガママに」いきましょうよねッ😉✨


💛それでは、明日も続きをお楽しみに❓😆
今日も佳き日でありますように💮😸👩🐸」  
         


With “Ryoryo”(リョーリョー)


💛そのあとは山羊古墳ランへ行って12,181歩(8.8㎞)走り歩きしました🦆🏃🌙🌟ゼイゼイ… バタッ…♪♪ (←息切れしたウチ…😱でもその後にブログ巡りの至福が待っている…🥕🐎


💛夜は『東日本大震災から13年。娘が眠るこの地を慰霊の場に(大熊町)』の文字起こし(要約筆記)をしました。


今、ネット上でクルド人の方へのヘイトスピーチが酷くていつれもれらも「50代の人が主にやってるらしい」とちょっと聞いていて、ほんでウチは今頃「今年50代最後の年や」と気がついて、ほんで「そんなおかしな50代は一部の人だけやでぇ」ということで、最後にちょっともうひとがんばりして、声をあげ続けようかなという風に思いました💦🌸↓↓


✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘🏃
配信日:2024年3月12日(火)、発信:TBSラジオ「荻上チキ・Session」、テーマ:安田菜津紀さんと語る~東日本大震災から13年。福島県大熊町、出演:安田菜津紀×荻上チキ×南部広美
✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘🏃

※部分起こし(要約筆記)
🌝15:15 安田菜津紀・フォトジャーナリスト、NPO Dialogue for Peopleの副代表:https://twitter.com/NatsukiYasuda

娘が眠るこの地を慰霊の場に――福島県大熊町、遺骨の語るメッセージ
https://d4p.world/news/21161/


私は夫の家族が被災をした岩手県の陸前高市
を中心に宮城県あるいは福島県で様々なご縁
を頂いて取材をしてきたんですけれどもこれ
その間お世話になった方の一人で福島県大熊
の木村紀夫さんというお父さんのお話です


皆さんもご存知のように3.11の地震後原発事
故が起こりましたので木村紀夫さんは3月の
12日には「避難をしてください」という指示
が出されて自分の娘や妻や父親の捜索をした
いんですけれどもその場を離れなければなら


なくなったんですよね以降ここは「帰還困難
区域」になり立ち入りが厳しく制限されてい
くわけですけれども木村さんはその限られた
帰宅の日数を使ってお父さんと妻の深雪さん
はほどなく見つけられるんですけれども娘の


汐凪(ゆうな、当時7歳)さんだけが約5年間
見つからなかったんですよね2016年の秋
になって環境省に依頼する形で重機を入れて
捜索を始めそこでようやくマフラーとそこに
包み込まれるような形で顎の骨が見つかりま
すただそれから更に約5年間汐凪さんの遺骨
は見つかりませんでしたで「どこにいるのか
どんな風に捜索をすればいいのか」というこ
とで木村さんは一人で思いつめていかれます



津波被害の話と木村さんと娘の汐凪さんとの
死別の話はもうしばらく続きますお聞きの方
で心苦しくなられた方はこの場から離れるな
ご自身を優先された行動をお取りください




🌝17:32 安田
当時木村さんは娘さんの遺骨が見つかったと

いうこと自体も「素直に喜べなかった喜ばな
きゃいけないと思っても喜べない」とおっし
ゃっていた位でした「もし娘が見つからなけ
れば汐凪は津波にさらわれてしまって海に行
ってしまったのかなという風にも思えたかも


しれないでも見つかったことによって逆に自
分の娘が津波によって亡くなったのかそれと
も津波にのまれた後もまだ息があったけれど
も原発事故でみんな避難しなきゃいけない捜
索ができないそれで放置されてしまったこと
によって亡くなったのかのどちらかが分から


なくなってしまっただから
やっぱり自分が娘
捜索できなかったこと置き去りにしてしま
たことによって(そんな風に思う必要はな
んですけれども)見殺しにしてしまったので
はないかという思いを木村さんはずっと
くことになるんですよね(本来は木村さん
そんな思いを抱く必要は全然ないんですけれ


ども)でもそんな時に色んなご縁がありま
沖縄県で戦没者の遺骨の捜索をずっと続
ておられる具志堅隆松さんが木村さんの捜索
に加わることになるんですよね2022年の1月


元日にいらっしゃって次の日捜索を始めてす
ぐに具志堅さんが「木村さん」って声をかけ
られますそして木村さんがそこを掘り始めた

所汐凪さんの大腿骨が発見されるんですそし
具志堅さんは「親と子が呼び合った力です
」ということをおっしゃるんですけれども


(※その時の音声はコチラでお聴きになれます)
https://www.youtube.com/watch?v=xrlUB1bpprk


https://d4p.world/news/21161/


そして木村さんご自身も「とても自分の背中
を押してくれるような発見だった」という風
におっしゃって「汐凪が見つかった場所を慰
霊と伝承の場として何とか残していけないだ
ろうかこんな事故が起きてしまったこんな犠
牲が生み出されてしまった二度とこれを繰り
返してほしくないだからこの場自体を残して
ほしいんだ」という願いを抱かれるんですけ
どもこの時もまた躊躇が生まれるんですよね


「これを言い出すのは自分のわがままなんじ
ゃないだろうかお前の娘一人のためにそんな
わがままを通すのかという風に言われてしま
うんじゃないだろうかと思うと地元の中では
しろ声をあげづらいな」という抑圧的な感
覚をやっぱり木村さんは抱かれしまうんです


ただその時具志堅さんが木村さんにはっきり
おっしゃったことがありまして「これは人間
の尊厳の問題で数が一人だからとか二人だか
らとか数が少ないからという問題じゃないで
すよ何でしたっけ誰でしたっけ一人も取り残
さないとかって言ってなかったでしたっけい
やこれ遠慮することじゃないですよもうそれ
こそ何て言うんですか当然の権利ですよ確か
に中には一人の意見でもって全体の利益が損
なわれないかとか言ってくるのも出てくるか
もしらんけどそんなの関係ない一人の人間を
大事に出来ないのがみんなを大事にできるわ
けないだろってのもし必要でしたら一緒に声
を上げますいや福島というか東北の災害地の
行方不明者の捜索ってのいつか行こう行こう
と思ってたんで」
とおっしゃったんですよね


私も沖縄から参加された具志堅さんがそうい
う風なことを言われたのは印象に残りました


(※音声はコチラでお聴きになれます)
https://www.youtube.com/watch?v=kTU1Uiguf_w



https://d4p.world/news/21161/



🌛23:04 荻上チキ・NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表、「社会調査支援機構チキラボ」代表:https://twitter.com/torakare
歴史を繋いでいくことだけではなくて次の被
害を防ぐために伝承することという風に言う
とむしろ一人のわがままではなくみんなのた
めでもあるしまた一人のわがままと言われる
けれどもそれは一人の思いとかを大事にする
事でもあるので物事は両側面がありますよね



🌝25:12 安田
おっしゃる通りなんですねそれを軸足にして
これからをどういう風に組み立てるかなんで
すけれども津波の震災遺構は各自治体で色ん
な形で残されてきましたけれども原子力災害
そのものの遺構は木村さんは「残していきた
いな」という風におっしゃってるんですけれ
どもこちらは残すか残さないのかの議論自体
もまだ始まっていない
そうなんですよねそれ


さっきの繰り返しにはなってしまうんです
けれども木村さんはこの「原子力災害の遺構
を残したいと言うことも地元の中では言いづ
らいやっぱりわがままになってしまうんじゃ
ないか」という葛藤がやっぱり未だに出てお
られるんですよねでもこの問題からこそ「復
興って何ですか」が改めて問われるという風


に私は思うんですよ毎年3月11日に「どれ
復興が進みましたか」ということで「復興」
という言葉が用いられますけれどももそも
復興ってなあに?と特に先月大熊町に行っ
時も「国とか行政が見せたい復興の姿と自
が感じているこれからのあり方がやっぱり
れているんだよね」という声にも私は触れた


ですね例えば復興とは「不都合とか悲しい
こととかそういうのはとにかく過去に置いて
いきましょう」みたいなことでいいのかです
とかあと図書館が解体されてしまっように
「とにかく古いものを壊していって新しいも
ので上書きをしていくだけが復興と呼べるん
だろうか」ですとか「帰還困難区域の中にあ
って手がつけられないということで今に至る
まで議論がなされないまま結果的にここまで
残されてきた熊町小学校の例」ですとかせめ


て一方的ではないそして形式的ではない意見
の分かち合いの場想いの持ち寄りあいの場を
これから作っていくというのはまだ間に合う
んじゃないかなということはこの取材等を通
てずっと私が感じ続けていることなんです


🌛27:46 荻上
町づくりのためには町の声は必須ですもんね

🏃🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨

※今日の文字起こしのソース(情報源)はこちらです:https://www.youtube.com/watch?v=CTRv-Dqrblc

配信日:2024年3月12日(火)
発信:TBSラジオ「荻上チキ・Session」
テーマ:安田菜津紀さんと語る~東日本大震災から13年。福島県大熊町
出演:
  安田菜津紀・フォトジャーナリスト、NPO Dialogue for Peopleの副代表:https://twitter.com/NatsukiYasuda
×荻上チキ・NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表、「社会調査支援機構チキラボ」代表:https://twitter.com/torakare
×南部広美・フリーアナウンサー:https://www.tbsradio.jp/articles/63007/https://www.tbsradio.jp/articles/63007/
※動画の視聴urlはこちらです:https://www.youtube.com/watch?v=CTRv-Dqrblc
※関連動画のご紹介はこちらです:https://www.youtube.com/watch?v=xrlUB1bpprk

https://www.youtube.com/watch?v=kTU1Uiguf_w

※関連ブログのご紹介はこちらです:https://whimeda.muragon.com/entry/870.html?
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