「つらかったとね」「つらかったとです」 とは #長崎・ヒバクシャ(※雑学No.501,B.D.+352)
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2023/8/23(水)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
「昨日は天下茶屋の鮨屋が休みだったので、難波の鮨屋へ。明日はフリー。ゆっくりします。明日も暑いので帰らない方がいいかも。一応検査キットはテーブルの上に置いてます。」(※☐◇:息子氏の名前)
つづいて、菟田野のお義母さん(85)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
「おかあさん、おようございまスイートポテトッ🍠🎶🥶ガクブル・・・
💛きょうは🎵つると かめと すべった~🎵の水曜日ですねッ(•ө•)♡🏮🐦🐢✨🎵(『かごめかごめ』、昭和初期)
💛ご存じであれば、よろしければ、ご一緒に口ずさんでくださいねッ(•ө•)♡🏮🐦🐢✨🎵
ε(c*´꒳`)🎤🎶
♪♪かごめ かごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに
つるとかめとすべった
うしろのしょうめん
だーれ♪♪
ε(c*´꒳`)🎤🎶
♪♪ゼゼゼ…ゼゼゼ… ゼゼゼ…ゼイ… (←息切れ寸前の私😱)
🏮🐦🐢✨🎵
💛それでは、きょうは、「尽誠 (じんせい)」さんの『おまかせコース』(全7品)より、最初の4品の「お料理の名前当てクイズ」をお出ししますねッ(*•ө•*)/♡
💛一応、ヒントつきですけれども、それが必要なのは、ひとえに私だけデスねッ(`Θ´)ドヤア
💛なお、前回は「心斎橋 多満喜」さんの『7月の酒肴セット』から「お料理名当てクイズ」をお出ししましたねッ(*•ө•*)/♡
💛では、まずは全体の写真をご覧くださいねッ(*•ө•*)♡
💛続いて、上の段の最初の4品のクイズのヒントをお出ししますねッ(*•ө•*)♡
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一枚目:つ〇貝🐚
二枚目:大〇マ〇リ🐚
三枚目:焼〇ハ〇🐍
四枚目:蒸〇ト〇ブ〇🐚
💛それでは、答えを発表しますねッ(*•ө•*)♡
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一枚目:おつまみ つぶ貝🐚
二枚目:おつまみ 大蛤🐚
三枚目:おつまみ 焼き鱧🐍
四枚目:おつまみ 蒸しトコブシ🐚
💛続いては、変なやりとりをしますねッ(笑)(*•ө•*)♡
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私「つぶ貝を食べながら、ダジャレをつぶやく♪🐚( ˆoˆ )/♡
大蛤に、大ハマり♪🐚( ˆoˆ )/♡
焼き鱧が美味しそうすぎて、はぁ〜もう~焼きそう♪🐍( ˆoˆ )/♡
拳ト、コブシ(拳)ではなく、お茶とダジャレで語り合おう♪🍶🐚( ˆoˆ )/♡」
マスター「 勘弁してくださいよ🥶ガクブル・・・ 」
✨✨
💛話変わって、「貝類🐚」と言えば、あさりやしじみも、鉄やカルシウムが大変豊富ですよねッ😋🐚🦴細かく刻んで、お互い、歯に優しくして、山盛り食べましょうよねッ😉✨それでは、次回は明後日8/25(金)になりますけれども、続きをお楽しみに❓✨今日も佳き日でありますように🐸🐢🐸🐢」
With “Ryoryo”(リョーリョー)
そのあとは、公園ランへ行って8,835歩(5.7㎞)走り歩きしました🏮🏃🚗🌒夜は『きょうは長崎原爆の日。被爆後の78年で長崎が向き合ってきた課題とは』の文字起こし(要約筆記)をしました。今、ネット上でクルド人の方へのヘイトスピーチが酷くて、またそれらも「50代の人が主にやってるらしい」とちょっと聞いていて、ほんでウチは今頃「今年50代最後の年や」と気がついて、ほんなら「そんな50代ばっかりやないでぇ」と、最後にもうひとがんばりして、ちょっと声をあげてみようかなという風に思いました💦🌸↓↓
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配信日:023年8月9日(水)、発信:TBSラジオ 「荻上チキsession」、テーマ:「きょうは長崎原爆の日。被爆後の78年で長崎が向き合ってきた課題とは」、出演:桐谷多恵子×荻上チキ×南部広美
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※部分起こし(要約筆記)
🌜1:04:56 (番組趣旨) 南部広美・フリーアナウンサー:https://www.tbsradio.jp/personality/nanbu-hiromi/
今日は「長崎原爆の日」です
被爆から78年となった今年は台風6号の接近で
平和祈念式典の会場が 屋内に変更されるなど
大幅に規模が縮小された中での祈りの日となりました
平和宣言で 長崎市の鈴木市長は
G7広島サミットで発表された広島ビジョンについて
「『核抑止』を前提としています
核抑止に依存していては
核兵器のない世界を実現することはできません」
と核抑止論への依存を批判しました
被爆者の平均年齢が 85歳となる中で 広島とともに
長崎でも被爆経験の継承が大きな課題となっています
一方でG7サミットが開催され首脳たちが原爆資料館を訪れる等
大きく注目された広島の影に 隠れがちであるとの指摘もあり
広島との違いや
長崎での被爆の実相をどのように発信していくかなど
被爆地・長崎として 向き合ってきた課題もあります
きょうは被爆78年の今 被爆地・長崎にどんな課題が残され
その解決のために どんな取り組みが必要になってくるのか
専門家といっしょに考えます。
🌝1:15:45 桐谷多恵子・多摩大学専任講師:https://www.asahi.com/articles/ASNDD5W1NNDDDIFI002.html
長崎の課題は そうですね
とても難しい問いですけども
少し踏み込んで話させて頂くと
被爆地広島の 被爆者の方々も
サーロー 節子さんをはじめ 切明千枝子さんも
「ここまで 色んな 各国のリーダーが来たのに
核兵器の廃絶に踏み込んだ議論をして下さらなかった
被爆地広島はいつも 政治的なパフォーマンスの場に
利用されている」
と かなり落胆されてたじゃないですか
(「広島原爆の日」が一見盛況なことを)
本当に 素晴らしいことだと
受け止めていいのかの問題がある一方で
そうされない 長崎の問題がある
勿論 地の利の問題もあると思うんですけども
長崎は行きづらい面があると思うんですけども
やっぱり アメリカの大統領を始め
長崎を見ることで核兵器の問題とか
被爆の問題が もっとクリアに
見えてくるのではないかなと
私は思っています
🌝1:21:17 桐谷
深堀 好敏(ふかほり よしとし)さんという
長崎でずっと被爆の写真調査をされてきた
被爆者の方が おられるんですけれども
代々カトリックの信徒の出身の方ですが
インタビューの時に教えて下さったのが
https://www.tokyo-np.co.jp/article/252063
「浦上の人々は貧しい農民の人が多くて
なかなか 教育が 受けられなかった
やはり 原爆のことでも
資料を残すとか記していく人たちが
中心部の教育を しっかり受けた
エリートの人たちになっていく事で
なかなか 浦上の人々の記録が記録として
残らない ということがあるんだよ」
ということなんですよね
※『原爆と沈黙~長崎・浦上部落の受難~』
https://www.agh.aoyama.ed.jp/wp-content/uploads/2019/04/peace_news_2018_05.pdf
🌝1:29:54 桐谷
それこそ今日岸田首相がおっしゃっていたように
「被爆者であることの認定」を
「原爆症」認定も含めて
やはり もう時間が限られているので
早急に 取り組んで頂きたいなと思っています
随分と 改善と言うのは難しいんですけれども
姿勢としては変わってきたと思うんですけども
ただ 本当に 遅すぎたなと思っていますね
かなり 長いこと
皆さん 訴えてきているので
だから もう
時間が足りない
本当に急いでっていう
気持ちが ありますね
🌝1:31:12 桐谷
以前 「長崎の証言の会」の事務局長を
務めていらっしゃった森口貢さんが
もう凄い段ボール山積みの資料を前に
「この資料の重要さを伝えていかないとね」
って よく おっしゃっていたんですね
でも 亡くなられてしまって 今
私たちどうしようっていう気持ちが
森口先生ならば その資料の価値がわかったり
その背景や意味がわかると思うんですけれども
私たちの世代ですと この資料の どこをどう
受け継いでいくのかを本当に慎重にやらないと
もしくは
もし 行政側にその資料が行ったとして
価値がわからないと破棄されてしまうと
いう恐れが 残念ながらあるんですよね
森口先生は それを 凄く恐れていらっしゃったので
「長崎の証言の会」がそうはなさらないと思うんです
ただ 本当に 集められてきた資料とか証言を
次の世代がどう受け止め どう繋いでいくかが
今の 大きな課題だと 思っています
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1028381/
爆心地が 市の中心部から遠いので
眼鏡橋とか 中華街とか 色々一杯
長崎の中心部に観光施設があるので
観光地巡りをして
浦上へ行こうって
結構 遠いんですよね
ただ 浦上っていう場所は
さっきもお伝えしたように
クリスチャンの方々が長年
守り 受け継いできた
キリスト教の地であり
東洋のローマと呼ばれる位
大切な場所であり
だからこそ ローマ教皇が
最初に長崎に訪れたんですよね
🌝1:38:54 桐谷
さっきお話しした 深堀好敏さんも
浦上天主堂が原爆で破壊された衝撃は
代々キリスト教徒を守って住んできた
カトリックの被爆者の方々にとっては
凄く強かったとおっしゃっていました
深堀さんは被爆翌日、浦上天主堂が炎上するのを目撃したhttps://www.asahi.com/special/nuclear_peace/gallery/nagasaki/
だから各国の リーダー達にも
むしろ 長崎に 来て頂いて
浦上天主堂が被爆したって事を
もう少し アピール できれば
ヒロシマの重みとは違った
ナガサキの重みが 伝わり
原爆の重みが 本当に
伝わるんじゃないかと
🌝1:40:07 桐谷
浦上天主堂が 綺麗に
再建 されてしまったことも
なぜ 再建されてしまったのか
なぜか資料も残ってないんです
もし原爆ドームのように残っていたら
長崎は 全く違っていたんじゃないか
また 同じキリスト教国の方々も
来た時の 受け止め方が相当違ったものに
なっていたような 気がするんですよね
🌝1:40:37 桐谷
しかし 先程の森口貢さんみたいに
深堀好敏さんも そうですけれども
これで本当にいいのかなとは思うんですけれども
長崎の場合は市民、被爆者ご自身が
資料集めなどを一生懸命 個人的に
始められていたり するんですよね
「長崎の被爆写真調査会」も被爆者6人で
1979年に 結成しているんですけれども
被爆の写真を4,000枚集められて
自分の故郷の浦上とかが凄く壊滅しているのを
冷静に 検証していかれる
その作業は「する度に苦しかった」と
深堀好敏さんもおっしゃっていました
https://www.nagasaki-np.co.jp/peace_article/2936/
🌝1:41:39 桐谷
私はある時 その森口貢さんが
「自分自身も被爆者だけど 被爆者が被爆者の聞き取りをしてる」
っていう場面に遭遇して
森口貢さんも
号泣されているんですね
森口貢さんも
涙を流しながら
「つらかったとね」と
痛みを分け合うように
話を聞いておられて
私 びっくりして
自分は研究者なので
証言の記録化を正確に行わなきゃと
メモに非常に集中しているんですが
森口貢さんは
目の前の被爆者を
抱きしめるような
聞き取りをして
そしたら その被爆者の方も
「森口さん つらかったとですー」
と もっともっと言葉が出てきて
🌝1:42:29 桐谷
そんな自分が
ある原爆孤児の方の聞き取りをした時に
「そんなに原爆孤児、孤児と
呼ばないでください
自分が一番分かってるんだ
ひとりぼっちだってことは」
と 言われまして
森口貢先生が そこで
「桐谷さん 自分の問題意識、出発点を話してごらん」と
それで 私は初めて
そこで 研究者ではなくて
一人の人間として
「私の母の家族も
母は二世ですけれども
母の姉までが被爆していて
殆ど親戚が全滅してる
っていう話を聞いて
自分も真実が知りたいと
それで取り組んでいます」
って言った時に
シャッターがまた開いたんですね
それが森口貢先生のおかげでした
🌝1:43:32 桐谷
森口貢先生は証言に凄く
こだわっていたんですよ
ある事柄の証明となるように
体験した事実を話すことが
証言だから
ただ「あとは人間の信頼を忘れてはならないよ」
ということも お伝え頂きました
🌛1:44:14 荻上
ヒバクシャ・広島の声に
ヒバクシャ・長崎の声に
耳を傾けると言う時には
ただ単に知識を得る或いは
話を聞く だけではなくて
その 重みについても
考えなくてはいけない
と いうことですよね
🌜1:44:22 南部
まだまだね
お伺いしたい けれども
時間が来てしまいました
また お待ちしています
ありがとうござい ました
※今日の文字起こしのソース(情報源)はこちらです:https://www.tbsradio.jp/articles/73365/
配信日:023年8月9日(水)
発信:TBSラジオ 「荻上チキsession」
テーマ:「きょうは長崎原爆の日。被爆後の78年で長崎が向き合ってきた課題とは」
出演:
桐谷多恵子・多摩大学専任講師:https://www.asahi.com/articles/ASNDD5W1NNDDDIFI002.html
×荻上チキ・NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表。「社会調査支援機構チキラボ」代表:https://twitter.com/torakare
×南部広美・フリーアナウンサー:https://www.tbsradio.jp/personality/nanbu-hiromi/
※動画の視聴urlはこちらです:https://www.youtube.com/watch?v=IMFdWE753zk&t=4207s
※関連記事のご紹介はこちらです:https://wp-manage.tbsradio.jp/397838
74回目の原爆の日。被爆体験をどう継承していこうとしているのか?荻上チキの長崎取材報告▼森口貢×佐藤直子×原田小鈴×荻上チキ▼2019年8月8日(木)放送(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)
※切明千枝子(きりあけ・ちえこ)さんに関するブログ記事のご紹介はこちらです:https://whimeda.muragon.com/entry/1253.html