ダブルっち。

小6~高3まで、親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(4月29日で二十歳♡)も、晴れておかげさまで、広島での下宿生活を満喫中です!f^_^;)笑

簡単に納得しないほうがいいらしいよ




きょうは・・・・・・・







ブットン君と6人(撮影者の甥1含む)で撮影。     くじら広場前で3人で自撮り。

      






今日のひろい読み・・・・・・・




ところで、医者というのも世の中に沢山ある商売の一つ。


商売には、それを要領よくやっていくためのコツというものがあります。



人間は未知なるものです。


そして医者とは、この未知なるものと向かい合った商売です。



その未知なるものの中には、いずれは少しずつわかるであろうこともあれば、


永遠にわかりえぬであろうものもあれば、


現在のところ、そのどちらか皆目見当のつかぬものがあります。


しかし、そのわからぬものを、わかったふりするのも、医者の商売のコツなのです。



たとえば、眠れないと苦痛を訴える患者が来ます。


この患者に不眠症と名を付けるのも、その商売のコツの一つ。


名を付けると、その日から、未知なものが、なんだかわかったもののように見えてくる。


そして、未知であることが、不安の源泉ですから、
わかったもののように見えただけでも、人間は安心するのです。




「わたしの病気は」
「不眠症です」
「どうして眠れないのでしょう」
「不眠症だからです」


考えてみれば、これでは何もわかったことになりません。


しかし、人間は納得したい動物です。


これだけの説明で、大部分の人がかんたんに納得してしまう




不眠症とは、このように、


医者の商売のコツと、人間の納得好みの性向がつくりあげた観念であり、


はりつけられた名前にすぎません






ぼくたち医者は、まず病人を大まかに分類します。


訴える苦痛を症状と呼び、症状別に分類するのです。


眠れないと訴える場合は不眠症、食欲がない場合は食欲不振、便秘すると訴える場合は便秘症。


そして、ぼくたち医者は、できることなら、そうした苦痛を与える原因を発見しようとします。


こうして、原因が見つかった場合は、原因ごとに分類され、名前がつけられます。



それが病気の分類です。原因がはっきり見つかったものが病気です。




そして、医学の中には、この病人の訴えによる分類名と、病気の分類名が、


雑然と並べられているので、一般の人には区別できなくても、当然です。


なにしろ、あまりの雑念さぶりに、


医者ですら、二つをはっきり区別できないものも あるほどですから。




そういうことを知って、病名を見れば、


不眠症とは、便秘症や、食欲不振と同じく、病名ではなく、


病人を訴えによって分類した時の、名前にすぎないことが わかると思います









眠りは今日の結果としてむこうからやってくる
♪※☆★※☆♪Have a sweet dream♪※☆★※☆♪








評価を一週間先にのばしてもらうやり方らしいよ


きょうは・・・・・・・



     
※一緒に探して頂いた堺市戦災殉難之地記念碑と、宿院頓宮の分解したままの当時の鳥居です



※旧南海本線の橋脚と背景の鯉幟の組み合わせの写真です


 





今日のひろい読み・・・・・・・




「しかし、なんでこんなことをするんだね」



おそらく、読者もそこが疑問になるところだと思います。



「Iさん、一つの習慣をつくりだすにはながい時間が必要です。


今日と明日をくらべては変化がわかりません。



だから、一週間、あるいは十日間、あるいはひと月を単位にしてはかるんです。


ものさしを大きくとる。


一週間のうち何日、薬なしの日があったか、を問題にする。



たとえば、最初の一週間は、一時間たっても眠れないので薬をのんで眠る日が七日。


しかし、次の週は、一日は自然に眠った日がある。一週に一日と数える。


こうして数えれば、次第に今のあせりが 消えていくわけです。


半年もするうち、一週間に薬なしで眠れた日の数が三日、四日と増えていく。


その時、はじめて自分がよくなっていると思ってもいいのです」




「なるほど。しかし、薬に対する習慣性にならんものかね」




「こういうのみ方を、きちんと守る限り大丈夫です。


今日眠れないと明日にひびくと思い、明日の為に薬をのむ、


そう考えるかぎり、毎晩薬をのむようになってしまいます。



不安はない方がいい、


不安を消すために、必要であるかどうかを確かめず、薬をのむ、


そのために習慣になるのです。



Iさんは、薬の話をした時に、


薬が必要かどうかは、眠ってみなければわからない、といいましたね。



寝つきだけは、一時間横になるだけで、いいかわるいか、見当がつくのです。


だから、寝つきだけにしぼる、というわけです。



いいですか、Iさん。


ぼくのいったとおりに、半年間、ともかくやってみてください。


ものには、それぞれの時間というものが、あるのです」




「なんだね。ものにはみなそれぞれの時間というのは」




「それはですね、たとえば風邪です。


風邪にかかった人は、治るまで一週間待てば治ります」





「それはそうだ。一年続く風邪はないよ」




「そして、結核は患者さんが一週間で治してくれと言っても、どんな医者も治せない。


しかし、


一週間で治らないといっても、その治療法の効果がないとはいえないんです。


ストマイを一週間注射して治らないから、無効だとやめてしまったら、


ストマイの効果は、いつまでも、発見できなかったでしょう」






「なるほど。それはそうだ。しかし」



「しかし、どうしたのですか」



「半年はながいな」



「ながいでしょう。あなたにとっては。


しかし、病気にとっては、ながくない。


それが適当な時間なんです」







「でも、その半年が、がまんできぬとしたら」



「死ぬんですな」



「いやに、はっきり言うんだな、あなたは」



「ええ。いいます。


十日間で、結核の治療を拒否する患者さんがいたら、


あなたは、なんといいますか。


それじゃ死ぬんだな、おれは知らんぞ、としかいえないじゃないですか」



Iさんは、だまってしまいました。







眠りは今日の結果としてむこうからやってくる
♪※☆★※☆♪Have a sweet dream♪※☆★※☆♪






ねつきのよしあしだけにしぼるやり方らしいよ




きょうは・・・・・・・


堺市立平和と人権資料館の企画展“わたしたちの街に戦争があった-堺の街、未来へつなぐ平和な暮らし”へ(4/1~6/29まで)。
決して、堺のまちの昭和20年3月~8月が、空襲で焼け野原になった期間だと覚えていたのではなく、展示パネルの中の戦跡とその説明文(絵本「おかあちゃんごめんね」の少女が避難した小学校、詩文「念ずれば花ひらく」が刻まれた記念碑など)を見た後で、自分の中で、もう二度と忘れられない期間となっていました。ありがとうございました。いい企画だと思います













今日のひろい読み・・・・・・・



「Iさん、睡眠剤をあげましょう。これで安心できるでしょう。


そのかわり、きちんと、ぼくのいうとおりに薬をのんでほしいんです」




「わかった。では、どういうふうにのめばいいんだね。


二日に一度とか、三日に一度とか、いうのかね。


それとも、特別にわるい日だけのむ、そういうことにしろ、というのかね」





「いいえ、毎日です。


できれば原則として、毎日薬をのんでほしいんです。





よく効くはずです。充分の量をあげますからね。


そんなにケチケチしません。


ただ、こういう原則をまもって のんでもらいたいんです。






ごく単純、ごく簡単。


やぶのぼくの考えることです。複雑なものに趣味はありません。




いいですか、


まず床につく時、薬一服とコップ一杯の水を枕元に用意するのです。


もちろん、就寝時刻は翌日起きることに決めている時刻より計算して決めてください。


ぴったり八時間前に決めるのがいいでしょう。


こうすれば、すぐに寝入ったとしても、八時間以上は眠らないことになります」





「それで、薬はいつのむのかね」





「床に入って正確に一時間後。


十時に床に入って、十一時に目が覚めていれば、その時は薬をのむ。


薬をのむ癖がつくといけないから


今日は薬なしで頑張ろうなんて、無理しないでよろしい。


一時間たって眠れなければ、すぐ薬をのむ」





Iさんはうなづきました。


そこで、ぼくはいいました。





「ところが、一時間たつ前に、自然に眠ってしまうことがありますね。


その日は薬をのまない。


変な時間に目が覚めることがあっても、


ともかく自然に寝つくことができたことが大切なんですから」




「なるほど。今日のねむりは今日の結果なのだから、それでいいのだな。


五時間しか眠れずに目が覚めてしまっても、それが前日の要求した眠りなんだから」




ぼくはうなづきました。



「不眠の苦しみの大部分は、なかなか寝つかれないところにあるんです。


あとの残りが、


夜半に目が覚めて、朝までまだ時間があるのに寝つかれないことが苦しい、です。



やってみると、けっこう辛いものですよ。やれますか」



Iさんは、ちょっと深刻な顔つきで、やってみようと答えました。








眠りは今日の結果としてむこうからやってくる
♪※☆★※☆♪Have a sweet dream♪※☆★※☆♪




クスリの依存は知恵で防げるらしいよ



きょうは・・・・・・・



💛憲法週間記念のつどいLGBT啓発“ 悠以(ゆい)トーク&コンサート~自分らしく生きる~のご案内
 日 時:2018年5月11日(金)午後6時30分開演(午後6時開場予定)
 会 場:大東市立総合文化センター (サーティホール)
 費 用:入場無料(入場整理券が必要)







今日のひろい読み・・・・・・・


「正直に言ってください。Iさん。ぼくのところに来たのは、不眠症という病気を治すというより、睡眠剤をだしてもらいたいからではなかったのですか」



「いったいなんで、あんたが簡単に薬を出してくれないのか、疑問に思ったよ」



ぼくは、その時考えていました。人間、眠れなくて死んだ人はいないが、眠るための睡眠剤中毒で、これまでに何人の人間が死んできただろう



「睡眠剤の発見が、人間にとって大発見であったことは、まちがいないことです。


しかし、睡眠剤は、あいつを無理矢理眠らせて、その間に金を盗んでやろうと思えば、そういう目的にも使えるんです。


つまり、げんこでしか喧嘩のできなかった人間が、刀や鉄砲を手に入れたようなものなのです」




「芥川龍之介、川端康成、なるほど、睡眠剤の魔力にとらわれた人間は、どれほどいるかわからぬね」




「解熱剤や鎮痛剤は、熱のないもの、頭痛のないものがのんでも、役立ちません。副作用をだすだけです。


しかし、睡眠剤は、よく眠れるものがのんでも、ねむくさせる。眠らせてしまうのです。




ぼくは、患者に薬を出す場合は、どうしてもそのことを考えてしまうんです。




しかし、


昼間、眠りたくない人間にのませても、なんの作用も見られない、しかし、夜寝つきの悪い人間だけはすっと眠らせてくれるクスリや、


何年間のみ続けても習慣性にならず、大量にのんでも死ぬような危険のないクスリは、


今後もおそらく作られえないでしょう。



だから、


医者としては、患者にクスリをどのように使わせるかを考えねばならないのです。



ぼくには、クスリ依存がどうしても防ぎきれないのは、


クスリの使い方の研究が、充分でなかったからではないかと思われるのです。


それについては、また次のところで説明することにします








 眠りは今日の結果としてむこうからやってくる
 ♪※☆★※☆♪Have a sweet dream♪※☆★※☆♪






子ども時代の空想とつながっているらしいよ




きょうは・・・・・・・







    





今日のひろい読み・・・・・・・




眠れないこと、それ自体が苦痛をもたらすことはありません。


麻雀で夜を明かすような場合は、眠ろうとしないのですが、あまり苦痛ではない。


とすれば、苦痛は眠れなことそのものの中にあるのではない。


では、どこにその苦痛はあるのでしょう。




ぼくたちは眠りたいが眠れない時、まず孤独を感じるのです。


まわりの人たちはみな眠っている。自分だけが、この暗闇の底で一人いる。


その孤独感がまず耐えがたい。


みんなといっしょに起きていれば問題はありません。



その次に、


眠りは人間にとっての一種の救いなのですが、それが与えられないことが苦しいのです。


子どもの結婚のことが心配、夫の浮気のことが心配になる。


起きている間は、その心配に痛めつけられざるを得ないが、


眠っている間だけは、その苦しみから解放されるのです。


だから眠りたいと思う。しかし眠れない。


この場合、本当は、恨むべきは自分に心配を与えていることの方なのですが、


どういうわけか、自分が眠れないことの方に、恨みは向けられるのです。




そして、もう一つは、未来に対する不安です。


こんなに眠らないでいると、明日の仕事に差し支えることになりはしないか。
病気の原因になりはしないか。


そう不安になります。



不安から解放されるために眠りたいのに、
眠れないことが、かえって新しい不安をかきたてるのですから、苦痛に違いない。



しかし、この場合、よく見ると、


新しい不安が起こっているのではなく、


眠れないことを不安がることで、他の不安から目をそらせているのです。




しかし、眠りそのものに関する不安といえば、


人間は、動物としては、


眠れないことに、不安を感じる事よりも
眠ることに、不安を感じる方が先なのです。


眠りのあいだは、全く無防備になるので、そのことに不安を感じるのは当然です。


子どもの頃を思い出してみてください。


子どもの頃、眠っている間に親がいなくなってしまうのではないか、心臓がとまってしまうのではないか、前みたいな恐ろしい夢を見るのではないか、という心配のために、眠らないでいようとした。


そういう経験を思い出さないでしょうか。



その不安を、人間はいくつかの就眠儀礼(ぬいぐるみ、おやすみの挨拶など)によって
手なずけながら成長します。



ですから、こうして不安のもとをたずねていけば、


眠れないことで起こる不安は、子どもの頃の眠ることへの不安が、


眠っている間に心臓がとまって死ぬのではないか、という不安が、
眠らないでいると心臓の調子がおかしくなる、という不安に変わるという具合に、


形を変えて姿を現したものに過ぎないと考えてもよいのです。










  眠りは今日の結果としてむこうからやってくる
 ♪※☆★※☆♪Have a sweet dream♪※☆★※☆♪