希望あつめ。で一席🥟
ガザ地区(中東)から眺めた地中海の日没の写真です。
(撮影:錦田愛子教授、2015年)
水害にあうとは、文化遺産も含めて、被害にあうということだそうです。
けれども、被災直後は混乱しているので
文化遺産までなかなかレスキューできません。
ところが、昨年(2020年)7月の豪雨で球磨川が氾濫した熊本県では
官(熊本県教育庁)、民(熊本被災史料レスキューネットワーク)、学(熊本大学)が
連携してそれをスタートできました。
そして、被災し流された19ヵ所48躯の神仏のうち
2ヵ所7躯は元に返却され、残りの17ヵ所41躯の神仏は
「山江村歴史民俗資料館」に(損壊した状態ではありますが)保管されました。
どうして、そういうことが行えたのでしょうか。
一つは、熊本の方々は、レスキューは行えて当り前ではなくて
ひとつでも出来たらいいんじゃないかという考えを持っておられたこと。
もう一つは、熊本の、特に水害多発地域の方々の間では、
長いスパンで、未来に繋ぐため
(未来への歴史的遺産として継承していくため)
という観点が共有できていたこと。
それらが結構、重要でしたと言っておられました。
実際、神仏(文化財)が失われてしまうと、その地域の復旧や復興は
完全には、元には戻らないそうです…。
https://uminogohan.muragon.com/entry/2.html
お話を伺って、文化遺産はぜひ、未来の人たちとも共有したいという熱い想いが、
熊っちゃうほど私にも伝わりました🐻(笑)
「筑後川縦断竹筏レース」は
「竹害」×「獣害」を美味しく減らす「竹の炭火のイノシシ鍋」や
竹と筑後のお酒を組み合わせた「かっぽ酒」などと共に
流域の人々の「ようら」な発想から生まれたものだそうです。
(「ようら」とは、筑後弁で、適当、いい加減な感じという意味だそうです) 。
筑後川が流れる九州北部、福岡県は、竹林の面積が全国で第3位で
放置された竹林の竹の根は、
大雨の際、土砂崩れや河川の氾濫の原因の一つとなるので
竹の切り出しを行って、6mの竹を準備されて
毎年5月開催の竹筏レースに使用しておられるということでした。
なお、削ぎ落とした竹の笹や枝は、一カ所に集めて
作業の休憩時間に、寝転んで高い空を見上げる、天然のお仏蘭ベッドに。
「竹のベッドも、ええもんやで〜」
撮影者で、竹筏レース大会委員長の駄田井 正(だたい ただし)先生は
1944年堺市出身で、久留米在住51年ですが
時々、関西弁が出はります(笑)
アフガニスタンでは、井戸を掘ると罰せられる(2001年のアフガン戦争の頃から)そうです。
(当時の)アフガン政府が、井戸掘り禁止に踏み切りました。
戦闘が落ち着き、中村哲医師らが活動を再開し
「ペシャワール会灌漑用水路」を建設するまで
地区の人々の命を守っていたのは
この小さな小川一本だったそうです。
(撮影:宮原信孝教授)
平和が脅かされていた時代には、アフガニスタンの人々は、麻薬づくりも、雇い兵生活も、お金が得られれば何でも、好き好んでではなく、やっていましたが
中村哲医師の残した水路により、灌漑農地が誕生したことによって
約65万の人々が、自分たちで自分たちの命を守り、生活を切り開き
平和な暮らしができるようになりました。
この功績には、あの不名誉なガーニ大統領も、
中村哲医師にアフガン名誉市民賞を贈ったそうです(笑)
徳島県 海部郡 美波町 伊座利🐢は
陸の孤島的100人の集落です。
ここの皆さんは
「津波も怖いけれど、もっと怖いのは
過疎化で自然消滅すること」
とおっしゃり
漁村留学や移住希望者を自分たちで募り
やってきた一人ひとりの方と
子どもからお年寄りまで100人全員で、面接され
「この人、お客さんだからダメ〜」という風に、決めてこられて
自分たちならではのやり方で、25年間やってこられた結果
集落は、現在、全体の約6割を移住者とお子さん👶が占められ
高齢化率も、44%ぐらいから20%台へと変化してきたそうです。
(資料提供:加藤孝明教授)
ついでに?、同じやり方で、防災【も】取り組まれ
南海トラフ前に、「復興アクションプラン」(2015)を
日本のトップを切って、完成させてしまわれたそうです(笑)
冬枯れの農地に
湛水(たんすい、水をたたえること)したら
何百万羽もの渡り鳥の生息 ・休憩地に
変わりました。
水田に水を引くために作られた潅漑施設が
生物の生息のための水の供給も
担う時代になってきました。
米カリフォルニア州最大の潅漑区、
グレン・コルサ潅漑区(サクラメント川流域)
撮影:渡邉紹裕(わたなべつぎひろ)教授
糞が肥料となり、収穫高もアップですね(笑)
大水害に、都市生活者の人や動物は耐えうるのか。
寅さんや金八先生、こち亀でお馴染みの葛飾区では
カラオケ大会や女子会が出来て、ペットも泊れる
避難所作り等が、30年構想で進められているそうです(笑)
(東京都葛飾区のゼロメートル地帯の住宅密集地をうねるように流れる中川
=「中川七曲り」、加藤孝明教授撮影)