ダブルっち。

小6~高3まで、親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(4月29日で二十歳♡)も、晴れておかげさまで、広島での下宿生活を満喫中です!f^_^;)笑

子ども時代の空想とつながっているらしいよ




きょうは・・・・・・・







    





今日のひろい読み・・・・・・・




眠れないこと、それ自体が苦痛をもたらすことはありません。


麻雀で夜を明かすような場合は、眠ろうとしないのですが、あまり苦痛ではない。


とすれば、苦痛は眠れなことそのものの中にあるのではない。


では、どこにその苦痛はあるのでしょう。




ぼくたちは眠りたいが眠れない時、まず孤独を感じるのです。


まわりの人たちはみな眠っている。自分だけが、この暗闇の底で一人いる。


その孤独感がまず耐えがたい。


みんなといっしょに起きていれば問題はありません。



その次に、


眠りは人間にとっての一種の救いなのですが、それが与えられないことが苦しいのです。


子どもの結婚のことが心配、夫の浮気のことが心配になる。


起きている間は、その心配に痛めつけられざるを得ないが、


眠っている間だけは、その苦しみから解放されるのです。


だから眠りたいと思う。しかし眠れない。


この場合、本当は、恨むべきは自分に心配を与えていることの方なのですが、


どういうわけか、自分が眠れないことの方に、恨みは向けられるのです。




そして、もう一つは、未来に対する不安です。


こんなに眠らないでいると、明日の仕事に差し支えることになりはしないか。
病気の原因になりはしないか。


そう不安になります。



不安から解放されるために眠りたいのに、
眠れないことが、かえって新しい不安をかきたてるのですから、苦痛に違いない。



しかし、この場合、よく見ると、


新しい不安が起こっているのではなく、


眠れないことを不安がることで、他の不安から目をそらせているのです。




しかし、眠りそのものに関する不安といえば、


人間は、動物としては、


眠れないことに、不安を感じる事よりも
眠ることに、不安を感じる方が先なのです。


眠りのあいだは、全く無防備になるので、そのことに不安を感じるのは当然です。


子どもの頃を思い出してみてください。


子どもの頃、眠っている間に親がいなくなってしまうのではないか、心臓がとまってしまうのではないか、前みたいな恐ろしい夢を見るのではないか、という心配のために、眠らないでいようとした。


そういう経験を思い出さないでしょうか。



その不安を、人間はいくつかの就眠儀礼(ぬいぐるみ、おやすみの挨拶など)によって
手なずけながら成長します。



ですから、こうして不安のもとをたずねていけば、


眠れないことで起こる不安は、子どもの頃の眠ることへの不安が、


眠っている間に心臓がとまって死ぬのではないか、という不安が、
眠らないでいると心臓の調子がおかしくなる、という不安に変わるという具合に、


形を変えて姿を現したものに過ぎないと考えてもよいのです。










  眠りは今日の結果としてむこうからやってくる
 ♪※☆★※☆♪Have a sweet dream♪※☆★※☆♪