ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

「#女性・子ども」にとっての3.11(#放射線被ばく) とは(※雑学No.343,B.D.+200)

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2023/3/18(土)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
昨日は☐◇はそのまま帰って、私は中華居酒屋へ。今日は午後から遊びに行きます。明日もフリー。※☐◇:息子氏の名前
つづいて、菟田野のお義母さん(85)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
おかあさん、おようございます(•ө•)♡
💛きょうは、どんぐりころころ🌰🎶どんぐりこ🌰🎶土曜日でて来てコンニチハ🐍🎶の土曜日♪♪ですねッ🎵 (*•ө•*)✨ということで、よろしければ、ご一緒にお願いしますねッ🎵
どんぐり ころころ どんぶりこおいけにはまって さあたいへんどじょうがでてきて こんにちはぼっちゃん いっしょにあそびましょう♪🌰🐍🎶✨ゼイゼイゼイゼイ…ゼイゼイゼイゼイ…♪(←息切れ寸前❓笑)
💛それでは、今日は、『根っこばなし』より『乱心者にて候 🧔🏻🤼』という作品の第2回目をお届けします📖🤭
前回は『これから、昔、美濃の七宗山(なふさん)の山奥の「貧乏村」にあった、たった三つしかないムラのお話を始めます』というお話でした⛰️🐵🐗
💛なお、『乱心者にて候 🧔🏻🤼』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇

『乱心者にて候 🧔🏻🤼』

そのつど、毎日の喰いぶち(※食べ物の給与)を 一軒一軒 集めとったが、
なにせ、山奥の貧乏村の喰いもんはな、⛰️
村のもんでも 麦と稗の粥、🧑‍🌾
栃の実のぼち(※実を粉にして 他のと一緒に練って焼いたり蒸したりしたもの)、
そば粉や 地芋(※さといも)ばっか 喰ってとって、🥔


年貢にならぬ畑米の こごめ(※未成熟の小さい米)なんぞ、🌾
年に 一ぺんでも 喰えたら 口法楽(※口の楽しみ)じゃったで、🍚


まして 部落の三軒が 集める喰いもんなんぞ、
そりゃ おぞい(※粗末な)もんじゃったとよ。🏡🏠🏡
(つづく)


食べるものが満足に調達できなかったというお話が、何だか今聞くと、昔の話だという気がしませんよね🧑‍🌾

💛話変わって、「粉」と言えば、「粉もん」ですねッ\(^o^)/お好み焼き、たこ焼きも美味しいですが、豚バラ🐷タコ🐙が冷蔵庫に無いときは、キャベツ焼きももの凄く美味しいので、それ焼いて、お互い、幸せを感じましょうよねッ😉✨それでは、次回は明後日3/20(月)になりますけれども続きをお楽しみに❓今日も佳き日でありますように🐸🐸🐸🐸✨」

With "RyoRyo"(ウイズリョウリョウ)

そのあとは、古い街並みウォッチングに行って、9,637歩(7.3㎞)走り歩きしました🏃🐶🤧夜は『原発事故から12年、終わらない苦難の日々』(最終編)の文字起こしをしました↓↓

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開催日:2023/03/13((月))、主催:放射線被ばくを学習する会、共催:富山大学・科学コミュニケーション研究室、テーマ:20230313【オンライン被ばく学習会】鴨下さん「原発事故から12年、終わらない苦難の日々」、出演:
カルガモ一家(鴨下さん一家)の鴨下祐也・鴨下美和・鴨下全生(まつき)さん×温品惇一(ぬくしなじゅんいち)・元東京大学分子細胞生物学研究所助教
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※後編のご紹介はこちらです:

※部分起こし
🌛50:39 鴨下美和・ひなん生活をまもる会等の事務局メンバー:https://newstsukuba.jp/43707/11/03/
避難の経緯についてお話しする前に 先に 原発事故直後のことを ちょっとお 話ししようと 思います


私たちは 福島県いわき市の自宅で 私と長男は 被災しまして 
最初に 大きな揺れがあって で
その後  保育園に 下の子を 迎えに行ったんですけれども


保育園の園舎が 崩れてしまっていて というか 正確には傾いちゃっていたのかな
中に入れない状態に なってしまっていたので 
園庭に  ブルーシートを敷いて 
その園庭の ど真ん中あたりに1歳児
その周りを 2歳児
その周りを3歳児
で そのまた周りをもっと大きい子どもたち
円陣を 組むように


まるで 南極のペンギンのコロニーのような形で 
弱い子たちが 真ん中辺に 外側を より大きな子たちが守るような形で
一番外側を 0歳児を抱っこやおんぶをした保育士さん が 囲んで
ブルーシートで 風が来ないように  みんなで 囲んでいたんですよね


でも無常にも 空からはが降っていて
子どもたちの頭には 雪が 乗ってしまうん ですけれども
それでも そうやって
弱い子たちを守るような形で 避難されていて


その中から うちの息子を スポッと 抜いていただけまして
この今写ってる 家族が  揃うことができて


で も 職場から 夕方 戻ってきたんですね
一度戻ってきたん だけれども まあちょっとこれ話すと長く なるんで そこは省きますが 事情があって はもう1回 家から出ます


で は 車で出て  本来だったら 1時間ぐらいで帰れるはずの道のりに
6時間以上かかって  まぁ大変な思いをして 戻っては来るんですけれども


車で移動してる間に は ラジオから「3キロ圏内の方は念のため」っていうのを聞いたらしいんですよね


で 家 に帰ってきてから 必死に調べ物をしていて  
夜中の2時半頃に が 意を決したように 私に 
避難してみようか」と 
原発 何かあるかもしれない もしかしたら ベントが起きるかもしれないから
 
ベントとは ガス抜き(※格納容器破壊を免れるために、中の気体を抜くこと)ですよね で 「そのまま ベントした放射線のガスが 風に乗ったら ここ まで 流れてきちゃうかもしれないから 念のため ちょっと  距離を稼ごうか 避難してみようか」っていう ふうに が言ってきました 


で 私自身も 夫と同じ大学の研究室にいた まぁ先輩と後輩 だったんですけれども
そういう経緯があっ て 学生時代 放射性物質を扱う実験をしてました


生物工学科にいましたので 当時 DNAの配列とか調べるためには 放射性のリンを使ってたんですね
その関係で 私も 今で言うガラスバッチ 当時はフィルムバッチっ て言ったんですが それを お腹のところにつけて 実験をしている時がありました


で その(放射性物質を扱う)実験をするかどうかは 選べたんですよね
二十歳すぎてる私という人間が 授業を受けて 
どれだけ 放射性物質が危険か」ということも学んで 
放射性物質が DNAにどんな影響を及ぼすか」っていうことも学んだ上で
実験をするかしない かを 選ぶことができた
んですけれども


私は 当時 最先端のバイオテクノロジーの勉学をね 無心にやりたくて
あえて 自分で そのフィルムバッジをお腹につけて 実験する ことを選んでました


でも その10年後に 長男がお腹に入っていた時 に  ちょうどそのフィルムバッチ 今でいうガラスバッチをつけていた場所にある臓器 つまり 卵巣ですよね そこに 腫瘍があると わかって
初めて 私は 自分がしてたことを ちょっと 後悔しました


実際には その 実験なんで 全然 失敗しなかったので
もう 測定できないほどしか 「被ばく」してないので 
おそらく それは 「被ばく」とは 一切 関係ないはずなんだけれども


それでも  20歳の私には 
自分が癌になるかもしれないということは 想像ついたけれども
次の世代に迷惑かける  というところまでは 

次の世代に対する責任が取れない というところまでは 
想像でき なかったんですよね


だから 今 そのちゃんと選べるかどうかっていうことは すごく重要なことだなと思っています


54:54
で 原発事故が起きてから  子どもたちが ランドセルに そのガラスバッチをぶら下げて歩いているっていう そういう話を聞いて
それは もう 私 悔しくて  床叩いて 嗚咽しました 


20歳の私ですら 考えて悩んで それで その実験をするかどうかを選んだのに 
それも まあ 男の人は(ガラスバッチを)胸につける
女の人は 腹につける


腹につけるって言われた時  一瞬ドキッとしたんですよね
やっぱり 卵巣を そこを 測る女性の場合は 
男の人とは バッチを つける場所が違う
んだっていうことも 含めて 
私は ある種の覚悟をしたのに


何も知らない小学生が ランドセルに(ガラスバッチを)ぶら下げながら 歩くような世界になってしまった
もう それだけで  私は 耐えがたかったです


55:40
で まあそんな経緯もあったぐらいなので から そのベントの話をされた時に 「やっぱり それは避難した方がいいだろうな」と思い ましたし


もう一つは もう停電していて 家の中 冷え切っていたので このまま 家にいても 病弱な 父が もう80を過ぎてましたから 「このままでは 具合 悪くなっちゃうかな」っていうのもあって 思い切って 避難に 同意しました


ただ  もう  停電していて 信号も止まってるし
街灯もついてない状態で のうちに出るの は あまりにも 危険でした


もう地面が凸凹でしたから  30cmぐらいの段差が 平気でいっぱいある ような状態だったので これで 車が故障してしまったら もしかしたら みんなで 凍死しちゃうかもしれないぐらいの状態なので  とにかく 日が出るのを待って 朝の5時半に 家を出ることにしました


56:32
5時半に 子どもと父を 起こして 
車の中は ぎっしりです
5人乗りの普通の乗用車で 後ろにチャイルド シートを2つ置くと
その間って ほとんど 隙間ないんですが その隙間に 父が収まって


で いっぱい 着込んで  
荷物は ビスケットとか水とかを入れてたんですけれども


その時点では 「ベントがあるか もしれないから 距離を稼ごう」っていうつもりだったから
「まあ 今日 金曜日だから」 まあ土曜日の朝 ですけども「月曜日には帰れるだろうな」っていう風に思って 二日分の着替えを入れて  出発したんですね 


57:08
ところが まっすぐには 南に下られない
それは 海沿いは 津波や地震で 道路が駄目になってるところ が結構 あったので
に下れば 東京に行けるはずなんです が そっち側の道が通れない
でも に行ったら  原発があるんで 北には行けない
で 西に 逃げることを 選びました


西北西方向から 山の中を抜けて 栃木県を通過して  埼玉に抜けて そして東京、 横浜という そんな感じで逃げていきました


結局 普通だったら 4時間ぐらいで着くところを
19時間半かかったんですけれども なんとか 休み休み 着くことができました


57:55
栃木県まで 来たあたりのことだったと 思います
ラジオから「原発が爆発 した」っていうニュースが入ってきました
もう それは 全く信じられないことだったんです けれども
そこで (二日くらいで帰れるだろうなと思っていたのが).「もう戻れないな」と 思いました


で コンビニで カップ味噌汁を買って そこに 海苔を 1袋全部 全部で20枚の海苔を全部 一つのカップ味噌汁に溶かして ドロドロにしたものを 子どもたちに食べ させて(笑)


それは 何かというと 安定ヨウ素剤を 持っていなかったので
少しでも 安定したヨウ素で 先に 子どもたちの 甲状腺を 満たしておきたかったというか
そんな 浅はかな親心というか ちょっとでも って いうふうに思って
そんなものを 食べながら 逃げていきました 


58:47 鴨下祐也・福島原発被害東京訴訟・原告団長:https://iwj.co.jp/wj/open/archives/tag/%E9%B4%A8%E4%B8%8B%E7%A5%90%E4%B9%9F
昆布も 入れたような気がする
本当は 私は ヨウ素の主薬 ヨウ化カリウムを  研究室の中に 常備していたので 出てくるはずが うっかりなくして出てこなかった という 理由がありますね はい


58:53 鴨下美和
とろろ昆布 入れましたねぇ 
でも やっぱり それは にそういう知識が一応あったからな んですけれども
以上が 避難の 経緯の話です


🌛50:07
家を失ったわけで もない 人が死んだわけでもない私たちでも
本当に 12年の間 心から笑うことを忘れてしまう ぐらい
人を苦しめるのが 原発事故だったので


いろんな方法で作れる電気のために 
無数の家族が みんな幸せを奪われている 平和を 奪われてしまう
という意味で 「たかが電気で」という風に 私は思います。


🌜1:16:52
なんか いっぱい飛ばして 喋ってしまっているので
多分 質問とかあると思うので あったら お願いします


「12年間の間で 一番心に残っていることをお願いします」というご質問に対しては
私は いろんなところとで お話をさせて いただいているんですが
フランスの図書館で お話をした時に 
あるフランスのお母さんが 前の方に座ってらして お膝に 小さな女の子を抱っこして 座らせておられたんですね


その方が 私の発言の後で 質問し てくださって
質問ではなかったんですけど「ごめんなさい」と


「ごめんなさい 私 2011年の3月11日に 日本にいました
 でも チャーター機で 私 だけが逃げてしまった
 みんな 日本にいるのは そこにいるのは わかっていたのに
 私だけ  逃げ出してしまって ごめんなさい
 私は ずっと これを言いたかった」


という風に言われたんですね


で その時に 私も 正確に ちょっと 当時 言ったことを 覚えてないんだけれども 
むしろ「ありがとう」って


まずは「あなたが 逃げてくれたから 私も 福島から 東京に 逃げられたし
遠慮して そこにいられたら 私たちも 逃げ られなかった
だから まず 逃げてくれたのは 嬉しい 」と


それと もう一つ 自分が その12年間というか 今 12年経ってますけど 「12年間の中で 言わ れて 嬉しかったことは あなたにも 伝えたいです」って いうことで 


先ほどの中島孝さん(「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」の原告団長)の言葉(「 あんた 母ちゃんだろ? いいか よく聞け どんなことが起きても  母ちゃんが 子ども守ってるってのは 絶対に 正しいんだから」)を 
そこから 私は 前を向けるようになったの で 
その言葉を フランスのお母さんにも お伝えすることが できたんですね
すみません こんなところでよろしいでしょうか。


34:40 鴨下祐也
今回 最高裁の判決では責任がないという ことになってしまいましたけれども 後ろで
東京都をせっついてやらせた 非常に おかしな 訴訟でありますので 私たちとしても なんとか 頑張って いい方向に持っていきたいという 風に考えておりますので


次回 福島原発被害避難住宅追い出し訴訟(仮称)第6回裁判期日 2023年3月20日(月)11時30分~ 東京地方裁判所 606号法廷 では
ぜひ 傍聴をよろしくお願いいたします


小さい 法廷なので 40人ほどしか入れないんですが やはり プレッシャーをかけるという意味が非常に大きいです
この手の追い出し訴訟で  傍聴席が入ると言いますか 埋まるなんていうのは  通常だとありえない話で 東京都は 非常にその点 特に 最初の時はびっくりしている 明らかにびっくりしてる顔をしており ましたので やはり それは しっかり プレッシャーをかけていかなきゃいけない


そして 本体の訴訟の方でも やはり今でも汚染があって 避難する必要があると 私たちは考えておりますから それを少しでも そっちと合わせるためにも やはりこれは 何とか  ダメージを少なく できれば勝ちたいと 思っておりますのでよろしくお願いします。


🏃🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨

※今日の文字起こしのソースはこちらです:

開催日:2023/03/13(月)
主催:放射線被ばくを学習する会:http://anti-hibaku.cocolog-nifty.com/
共催:富山大学・科学コミュニケーション研究室
テーマ:20230313【オンライン被ばく学習会】鴨下さん「原発事故から12年、終わらない苦難の日々」、
出演:
カルガモ一家(鴨下さん一家)の鴨下祐也・福島原発被害東京訴訟・原告団長:https://iwj.co.jp/wj/open/archives/tag/%E9%B4%A8%E4%B8%8B%E7%A5%90%E4%B9%9F
×鴨下美和・ひなん生活をまもる会等の事務局メンバー:https://newstsukuba.jp/43707/11/03/
×鴨下全生(まつき、二十歳)・ローマ教皇の前でスピーチされた鴨下全生さん(16)スピーチ全文 | http://kansapo.jugem.jp/?eid=533
×温品惇一(ぬくしなじゅんいち)・元東京大学分子細胞生物学研究所助教
※趣旨:
311核惨禍から12年。福島第一原発4号機がたまたま定期検査中で、4号機の使用済み核燃料プールにたまたま水が流入したお陰で東日本壊滅を免れましたが、それでも16万人以上もの人々が避難を強いられ、生活の場・故郷を奪われ、「原発さえなければ」と書き残していのちを断った方もおられます。計1万人以上もの人々が311核惨禍の責任と賠償を求めて東電・政府を訴え、300名以上の小児・若者が甲状腺がんに苦しみ、7名の甲状腺がん患者が東電を提訴しています。
にもかかわらず、原発に固執する岸田政権は未だに責任を認めず、311などなかったかの如く原発推進に躍起になっています。311核惨禍がたとえ再現されても、原発から5キロ以遠の住民は避難させず、屋内退避させる方針です。このままでは被災された皆さんのご苦労が報われません。せめて311核惨禍の責任を認めて謝罪・賠償を拡充し、脱原発・脱被ばくの方針を決定すべきです。
3.13オンライン被ばく学習会(第85回)では、福島県いわき市から東京へ避難した鴨下さん一家の3人に、12年も続いている避難生活の苦難の日々、避難者訴訟の情況など、思いの丈を語っていただきます。鴨下さんたちと同じく、東京高裁で闘っている千葉、神奈川などの避難者訴訟原告団からも裁判の情況をお話しいただきます。皆さんのご参加を呼びかけます。
※関連資料はこちらです:
鴨下祐也さん資料(いわき市民訴訟・高裁判決要旨、原発の線量目標値は年0.05mSv)
http://anti-hibaku.cocolog-nifty.com//blog/files/20230313kamosita.pdf 
参考資料(鴨下全生(まつき)さん:「避難者であることを隠して生きよう」原発いじめに苦しんだ小学生の決断、
 いつまで叫べば伝わるのか  鴨下美和さん:広島地裁・意見陳述要旨)
http://anti-hibaku.cocolog-nifty.com//blog/files/20230313matukimiwa.pdf 
直近の避難者訴訟期日:http://anti-hibaku.cocolog-nifty.com//blog/files/20230313saibanns_c.pdf 
※動画の視聴はこちらです:https://www.youtube.com/watch?v=tCg8dfzcXqY
※関連動画のご紹介はこちらです:

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