ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

ハンセン病資料館の活動から考えたこと 佐川修さん(つづき)


宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』のこのシーンは

牛や豚などの飼育をして、自給自足させられていた

ハンセン病患者さんの療養所生活そのものが描かれたとも…







(前回へのリンクです)






ハンセン病資料館の活動から考えたこと


佐川修さん





作業は、重監房(療養所内の患者さんで、反抗する人や、逃亡する人を収監する目的で建てられた“特別病室”)の飯運びから、通夜、火葬までやりました。


https://www.youtube.com/watch?v=E54IzKNOI5o



療養所は、火傷の治療薬も何もなかったので、私は自分で“もぐさ”でお灸をして、よけい火傷をして、右手が下がっちゃって使えなくなりました。



それで、右手に長い紐をつけて、ぐるぐる巻きにし、左手が使えるから、右手の紐の中に、柄を通して、鍬や鋸、鉞を握って、薪割りや畑起こしの作業をしました。





1953年(22歳)に、「全国ハンセン病患者協議会」の代表が、「癩予防法」改正の国会陳情に行き、私も一緒に東京へ来て、43日間頑張って、“参議院通用門前座り込み”をしました。





親が死んだ時しか、外出が許されなかったので、みんな無断で夜、園を抜け出して、
手の悪い人は(駅員の人たちの目に着かないように)両手をポケットに入れっぱなしにして、
3食抜きで、(新幹線や飛行機がないので)遠方の人は30時間以上かけて、東京へ来ました。



ところが、どうしたことか、警察にバレて、清瀬秋津の駅に張り込まれました。


仕方がないので、みんな午前2時頃起きて、
清瀬駅のひとつ手前の


https://blog.ieagent.jp/eria/kiyosesumiyasusa-74449
 


東久留米駅から

https://ameblo.jp/mizu2011777/entry-12618068239.html



秋津駅のひとつ後の 

https://aibahousou.exblog.jp/238443614/



所沢駅まで、夜道を歩いて、

http://kensetsunewspickup.blogspot.com/2013/11/blog-post_957.html



そこから、電車に乗って、国会裏へ集まり、ようやく座り込みを始めました。



けれども、同年、政府が出してきた「らい予防法(新法)」は、隔離も、消毒も、外出禁止も、
1931年の「癩予防法」と、なんら変わらない内容でした。



(つづきます)










お時間頂き、どうもありがとうございました🙇
今日も皆様にとって、私にとって、素敵な一日となりますように!

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