ハンセン病資料館の活動から考えたこと 佐川修さん(つづき)
宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』のこのシーンは
牛や豚などの飼育をして、自給自足させられていた
ハンセン病患者さんの療養所生活そのものが描かれたとも…
(前回へのリンクです)
ハンセン病資料館の活動から考えたこと
佐川修さん
作業は、重監房(療養所内の患者さんで、反抗する人や、逃亡する人を収監する目的で建てられた“特別病室”)の飯運びから、通夜、火葬までやりました。
https://www.youtube.com/watch?v=E54IzKNOI5o
療養所は、火傷の治療薬も何もなかったので、私は自分で“もぐさ”でお灸をして、よけい火傷をして、右手が下がっちゃって使えなくなりました。
それで、右手に長い紐をつけて、ぐるぐる巻きにし、左手が使えるから、右手の紐の中に、柄を通して、鍬や鋸、鉞を握って、薪割りや畑起こしの作業をしました。
1953年(22歳)に、「全国ハンセン病患者協議会」の代表が、「癩予防法」改正の国会陳情に行き、私も一緒に東京へ来て、43日間頑張って、“参議院通用門前座り込み”をしました。
親が死んだ時しか、外出が許されなかったので、みんな無断で夜、園を抜け出して、
手の悪い人は(駅員の人たちの目に着かないように)両手をポケットに入れっぱなしにして、
3食抜きで、(新幹線や飛行機がないので)遠方の人は30時間以上かけて、東京へ来ました。
ところが、どうしたことか、警察にバレて、清瀬と秋津の駅に張り込まれました。
仕方がないので、みんな午前2時頃起きて、
清瀬駅のひとつ手前の
https://blog.ieagent.jp/eria/kiyosesumiyasusa-74449
東久留米駅から
https://ameblo.jp/mizu2011777/entry-12618068239.html
秋津駅のひとつ後の
https://aibahousou.exblog.jp/238443614/
所沢駅まで、夜道を歩いて、
http://kensetsunewspickup.blogspot.com/2013/11/blog-post_957.html
そこから、電車に乗って、国会裏へ集まり、ようやく座り込みを始めました。
けれども、同年、政府が出してきた「らい予防法(新法)」は、隔離も、消毒も、外出禁止も、
1931年の「癩予防法」と、なんら変わらない内容でした。
(つづきます)
お時間頂き、どうもありがとうございました🙇
今日も皆様にとって、私にとって、素敵な一日となりますように!