ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

あの日から46年(10.31 狭山事件 無期懲役判決の日①)





自分も、イラスト描いてみました😅




本日は、狭山事件のイベントにリモート参加しました。



と   き:2020年10月31日(土)
ばしょ:西成市民館


講   演:“狭山事件第三次再審請求審の現状と課題”
講   師:狭山事件再審弁護団 河村健夫弁護士


主  催:狭山事件の再審を実現しよう 市民のつどい in 関西







10月31日は 毎年 狭山事件のことで 何かを書いています。
でも 狭山事件の概要と 無実の確信については まだお話しさせて頂けてなかったので 
後先しますけれども 今回の要約筆記で 知って頂けたら幸いです。





まず、狭山事件の事実経過をおさらいしておくと、1963年5月1日、たまたま被害者の誕生日当日に脅迫状が届きました。翌2日、受け渡し場所に犯人が現れて会話をし“そこに警察がいるだろ”と言って逃走しました。警察は取り逃がし、被害者は殺害されて発見という最悪の事態になってしまいました。








警察庁長官、当時の警察庁のトップが責任をとって辞任しました。“これは何としても犯人をあげなければ”。警察組織にとって、それは凄いプレッシャーになりました。



その過程で狙われるのが弱い層です。狭山事件では所謂被差別部落の方に典型的な見込み捜査が行われました。石川一雄さんを含む複数の被差別部落出身者に見込み捜査が行われました。



5月23日に石川さんは別件で起訴、逮捕され 6月17日に確かに保釈されますが玄関を出た所で再度逮捕されて身柄を拘束されます。これで家族の元に帰れるとホッとした所へ直ちに逮捕されました。



私は、これは石川さんに強い心理的打撃を与えたと思います。その上、通常の留置所ではなく石川さんだけ川越分室という、一番近いイメージとしては座敷牢の様な所に放り込まれました。これは、私は警察側の“頑張りたきゃ頑張ってもいいけど 裁判官が保釈しようと おまえは帰れないぞ”という脅しであると思います。







6月20日に石川さんは「自白」しますが、これは“確定判決”とは違って“3人で、お寺のそばで”というものでした。そして、6月23日の次の「自白」で“単独で、雑木林のそばで”になりました。冤罪事件でよく見られる“自白のなかみが変わっていく”が狭山事件でも見られました。



3月11日の1審判決は、裁判史上稀にみるあっさりとした死刑判決でした。“自白したんだから”と、かなり簡単に裁判をやってしまったんだろうと思います。9月4日の控訴審で石川さんは“やってません”と否認に転じたので、裁判所は初めて本格的な裁判をやりました。1974年10月31日無期懲役の有罪判決、77年8月第1次再審請求、86年8月第2次再審請求、そして2006年5月第3次再審請求。










この第3次再審請求審で、私は初めて、狭山事件再審弁護団にまぜて貰いました。東京生まれで神奈川育ちの私は 部落差別については 大学に入るまで全く知らないまま育ち 弁護士になってからも 知らないままでした。刑事の事件も数件しかやっていませんでした。が ひょんな事から狭山事件再審弁護団に加わる事になりました。





“今までの裁判記録を一通り読んでみたい”とお願いするとドサッと届きました。読むうちに“間違いなく冤罪事件だろう。色々な点で説明のつかない部分が一杯ある”と思いました。裁判所は何とか必死になって有罪にしようとしている印象がありました。以来、弁護士生活の半分以上を狭山事件で過ごしてきました。





第3次再審請求が認められる為には、そもそも打ち破らなければいけない確定判決がどうなっているのか、どんな組み立てになっているのかを見なければいけません。袴田事件では静岡地裁判決、免田事件では熊本地裁判決がそれに当たりますが これに対し、狭山事件は東京高裁が出した寺尾裁判長の判決(10.31)を倒さなければなりません。







寺尾判決は有罪認定を次の3つの柱で行っています。
①自白を離れて客観的な7つの証拠
②自白に基づいた証拠
③法医学的な証拠




①は、自白のぐらぐらは裁判官もわかっている訳です。そこで、寺尾裁判長は“自白なんて無くたって、7つの客観的証拠で有罪に出来るんだよ”という判決文を書こうとしました。でも、あんまりすごいもの(証拠)が出てこないという…。



②は、①という大黒柱が1本では無理なので、2番めの柱が出てきた、という訳です。裁判官としては、被疑者が否認している事件で有罪判決を書くのは凄く勇気がいります。“秘密の暴露”とは“捜査機関が全く知らない。だけど自白に基づいて出てきた。万年筆がその通り出てきました。真犯人しか知らない事だ”と、こういう理屈です…。



③は、“首の部分を押さえつけられたと考えられる。何で押さえつけたかは、死斑は下に向けて寝かせたら地面の方に出来る”という理屈で…。




1本柱では不安なんで 2本、3本と 幾つもつっかえ棒を立てないと、という脆弱な構造になっているんです。
裁判官自身が自覚しています。
3本も立てているし、1つ1つも複数のなかみに分かれています。
弁護士も、幾つも証拠を出している訳ですが、その新証拠の中で一番インパクトのあるものが、2018年8月提出の“下山第2鑑定”だと、私は思います。(狭山事件再審弁護団・河村健夫弁護士)







ここでいったん切ります😅


お時間頂きありがとうございました🙇

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