ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

働く人びと~塵芥収集作業員のお仕事~

前回の記事をお読み頂いた皆様、他の記事もお読み頂いた皆様、そして16歳頃の話をお聴かせ頂いた皆様、本当にどうもありがとうございました。


16歳はある意味、人生で一番、お腹のグゥと鳴る音を恥ずかしがった年齢かもしれません。私は、毎朝の白ご飯を、お茶碗てんこ盛りにして、グゥに備えていました。


私の友人などは、夜食のラーメンから お餅2個入りにして、グゥに備えていました。今の時代の16歳も、そういうところは変わらないかもしれませんね……👧👦



某「リバティおおさか」閉館5日前の、本年5月26日に、「証言の部屋」ブースにて、元“塵芥収集作業員”の井田久男さんのお話を お聴きして来ました。



今回の記事は、読んで、皆様の10歳頃に、タイムスリップして、何か一つ持ち帰って頂けたら幸いです👧👦



※愛媛の中学校のある社会科の先生が、お父様が“塵芥収集作業員”で、ご自身は“『ヨイトマケの唄』の少年と全く同じ体験をした”というお話を聴かせてくださいました。



それで、画像は、『ヨイトマケの唄』の動画等からお借りしました。
himekichiオジサンによる拙い要約筆記ではありますが、是非ともご鑑賞ください😅









*『職業に貴賎なし』 井田久男さん




父と 同じ職業だと いう事は
気にも 留めていませんでした。
ただ 当時22歳でしたので 非常に 嫌でした。



父の仕事を してみて
臭いと 軽蔑していましたよ。
最初の 1,2ヶ月は。




22で なんで
大八車引いて 歩かなあかんねんと 恥ずかしかった。
自分自身、この仕事、差別していました。





仕事のおっちゃん達は優しかったですよ。
最初、ダストシュートを開けだけで 戻してしまったら
おっちゃん達は代わってくれて 助けてくれました。



入浴については 
“若いモンは後、年寄りが先”という 
封建的な所はありましたが。




“ゴミ収集110番”と書かれた
大八車を押している時
友達に どうせ いつか 見つかるだろうと 




予想はしていましたけれども
この仕事をしていることは
言えませんでした。




近所の奥さんは私が
大八車を押して通りがかったら
家の中へ逃げて 台所の窓を開けて 見ていました。




子ども達はまず
鼻をつまむ動作をして
その後、「臭い、臭い」の言葉を連発しました。



悔しいなと思いました。
“町を綺麗にしている”という観念が
まだなかったんですね。




4年ぐらい経って
昭和48年に 名称が
“大阪市清掃局”から“大阪市環境事業局”へと変わりました。




アレ?
名前だけ変えたらええんか?
と、その時、感じたんです。




それで、私の場合、
労働運動に入り、
これまで、差別体験で、



悔しい、
歯がゆい思いをしているだけだったのが、
“闘う意識”が芽生えました。




40人の詰め所の中でも
この仕事の事を 
仲間や 家族や 奥様に 言うてないという人が 何人もいてました。



仲間や 家族や 奥様には 言うてるが
ご近所には 言うていないという人も
4~5人 いてました。




この仕事は
早朝~午後2時頃に 終わり
その後、みな 出勤時のスーツ姿に着替えます。



で、「帰っていいぞ」と言われて 
帰社するんですけども
何人かは帰らず



5時過ぎてから 帰って行きました。
当時は そういう人達がいてたんですね。
で、私は 「それではアカン」と 言うたんです。









昭和46年に結婚して
47年に長男が、
49年に長女が、生まれました。



ある日、娘が、皆の前で、
「私のお父さんはゴミ収集の仕事をしています」と
言うたと 知りました。




嬉しかったです。
私は 家族に 隠しませんでした。
学校で 見学に行って、





みんなで 習っている、
みんなが 教えて貰っている から
娘は 言えたんですね。





昭和47年に
組合活動に入り
青年部長をやりました。



“職業差別だけでなく あらゆる 差別を なくす”
が基調でしたが
「差別受けた本人だから やらなアカンやろ」と








先輩に 背中を押されたんです。
“差別と闘う意識に目覚めた”と
“このままじゃアカン”が 同時にやって来て



どう対応していくか 非常に悩みました。
まずは
“差別の実態を明らかにする”ことから始めました。




・煙草をくれるけど吸殻ばっかりだった


・「家あるの?」と言われた


・古着をくれる人がいた(「奥さん、どうぞお父さんに着ても貰うて下さい」と言ってお返しした)


・「学歴ないやろ」と言われた






等々の 実態が 上がってきました。
“職業差別”は “学歴差別”と合わさってるんですね。
私自身は 定時制高校中退です。




当時は、奥さんたちが 小学校のお子さんを叱るのに
「あんた、勉強せえへんかったら あのオッチャンみたいになるで」
「泣いたら あのオッチャンに連れてって貰うで」と言うてはりました。




私は、運動に目覚めてからは
「奥さん、それは職業に対する差別ですよ」と言うようになりました。
そしたらキョトンとされてました。






そういう時代でした。
差別観念は、今現在でもあるか…?
あるんちゃうかな。






差別がなくならないのは、
ゴミというのは 外に出したら 忘れてはります。
頭の片隅にも ないせいだと 思われます。




「ふれあい作業」といって
玄関口まで ゴミを取りに行かせて貰う時に
今でも平気で ポストの後ろに隠れて見てはる方、






「ゴミ屋、ゴミ屋」と顎で使う方、
ケアマネさんが同席していても
「ゴミ屋、来たんか!」と、途端に、見下す方が いらっしゃいます。





正式名称は “塵芥収集作業員” です。
でも、「ゴミ屋」としか 教えて貰ってませんもん。
学校教育でも、



「塵芥」という言葉は 教えてないです。
だから、住民の方も「ゴミ屋」しか 言いようがないです。
「塵芥」という言葉を 知らないんですから。






「ゴミ屋」は、時に
「くせに」、「ごとき」の 助詞が付けられますので
気持ちいいことは ありませんね。





20~21年前(※1985年頃)に
当時としては画期的な取り組みだったんですが
住吉区や 阿倍野区の小学校で 話させて貰う事になりました。




小学校4年の 社会の副読本に 『ゴミと社会』という教材があって
それまでは 渡して 読んどけ、だけだったのが
住吉小学校の先生方は 扱い方が違いましたね。





最初は、「喋って貰えませんか」と言われて
5分だけ お時間頂いて お話ししたんです。
それが、毎年、呼ばれるようになって


行ってたら、今度は
「1時間授業 全部、喋って下さい」
と言われるようになって…




子どもというものは
珍しものがりなもんで
「先生と違う人が喋ってら!」






というので 
話を聞くんですわ。
ディスカッションでの



子どもの反応は
「オッチャン、可哀想や…」
というのが 殆どでした。




行政の取り組みや 
物の考え方が変わり
今は “ゴミの分別”の話もしているので






子どもの反応も
「綺麗にしてくれて ありがとう」
に変わってきています。




嬉しかったことは
住民の方も
「ありがとう」、「ご苦労様でした」、「すいませんでした」



と、心から
お礼を言いはるように 
なったことですね。







1969~70、71年頃は
住民の方が チップをくれたんです。
本意は 未だに わかりません。



本当に“感謝の念”でくれるのか
“貧乏な暮らしをしてるんでしょ”という
憐みの感情が入ったものなのか。




現在では
そういうことがあれば
所長が直々に






「これはどういうことか、タオルと石鹸は一生いらんぞ」
などと 言って
返しに行っているようです。






辞めたいと思ったのは
入ってちょっとの間だけですわ。
臭いにやられました。



求人難の時代とちゃいますからね。
ただ、
塵芥収集作業員は “地方公務員”で







堅いイメージのある職業なので
続けました。
結婚もせなあかんし。





他の仕事に就いていたら 今の自分は なかったです。
労働運動で 良き先輩に 恵まれました。
有意義な36年間でした。





意識改革は
人に言われて
やるもんじゃないんですね。






自分で やるもんなんですね。
私は 自分で してきたつもりなんです。
どう反論していこうかと



問題意識を持って、
ワンステップ、ワンステップと、
やっていって、



自分は
意識改革を できたと
思うんですけどね。






“職業に貴賎はない”



在職中は
“これさえあれば「清掃差別」はなくなる”という特効薬が 
私に 見つけられたら…と思いました。




残存してますから。




一人一人の方に
ぜひ これからも 意識改革を お願いしたいと 思います。









◆井田久男さん・プロフィール◆


1947年生まれ。1969年より大阪市環境事業局(当時は大阪市清掃局)の、父と同じ塵芥収集作業員の仕事に就く。労働組合で良い先輩と出会えたことをきっかけに小学校の「ゴミと社会」の授業で話をさせて貰う等様々な意識改革に取り組む。



<完>





うちも 遅ればせながら……😅

お時間頂きどうもありがとうございました🙇






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