ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

ははとむすめのかきことば⑬笑





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メール有り難う。
 秋らしい空を満喫できましたか。


 私は、10日土曜日に、第28回なにわ淀川花火大会の録画を見る事が出来ました。
 大変豪華で美しく、楽しめました。
 又9月3日土曜日には、関門海峡花火大会!!これは、LIVEでして、初めて見ました。
いずれも、大変美しく、一瞬またたいて消える…美しさ。感激でした。
 昔のテレビより、今はより鮮明な画像がうつし出されます。きれいでした。
 又来年のお楽しみでしょうか。



 懐かしの1枚…!これは、奈良へ行った時です。
 行楽ではなく、何か必要な用事の為に行ったと思います。内容は、ハテサテ忘却の彼方…です。二人共可愛いい盛りですね。
 有り難う。
じゃあ又、
 お元気で♪










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お母さん こんばんはー。
9月も半ばを過ぎ、夜が訪れるのも速くなってきました。
 
さて、わたくしごとデスガ
今年は、幼少時代の懐かしの場所をひとりでのんびり歩いてみようかなと思っています。


<五条山新町2-6(阪南団地)>からスタートです。
(てか、自分の大昔のアルバムを開いたら、一枚目の薄い紙の頁に、全転勤箇所の住所が 鉛筆書きで 書かれてあった幸運)
 
ハ゛ス停の『五条山新町一丁目』は、いまだ鮮明に覚えているという…(どんだけハ゛ス好きちゃんやねん)

念のため、NAVITIME(徒歩ルートを調べる検索)を初めて使って、
目的地の「五条山新町2-6」と「阪南団地」を調べましたが、
さすがにナッシングでしたヨ。


でも、「赤膚焼大塩正人窯」と「六条小学校」(小一の一学期まで通いました)は 
周辺地図を眺めていて、すぐ見つかりました。
ちな、「赤膚焼大塩正人窯」は、五条山新町一丁目ハ゛ス下車 約251m   徒歩で約4分 だそうデス。
 
こっから
目的地までの徒歩ルートで 記憶にあるのは、
家に着くまでに 長い坂道を登り切ったことだけです。うむ。

まあ、約2年間、ここに住んでいたので、土地勘でなんとかなると思います。


想い出の、土筆取りの小丘の場所が 確認だけでもできたらいいなー。
 
ところで
「赤膚焼大塩正人窯」を、目的地までの<中間目印>にしたケド
それで間違ってないでしょうか?←

 

今年の夏は ワタシも 花火大会を堪能して 
心が慰められ 家族のことが色々思い出され 心が浄化されました。
夏の風物詩の花火大会はそろそろ見納めデスガ、
秋も冬も、結構、花火はやってますし、
センチメンタルになっている暇なしデスネ。


あと、先週、懐かしの(でも内容は「忘却の彼方」の)一枚を送りましたケレドモ、
折角なので、もう一枚送ります。

あ"ー、もっかいくらい、子ども時代を過ごしてみたいなーーーー。
 

それでは

季節の変わり目、体調を崩さず 毎日が快適でありますように:*:°・☆ヾ(δ_δ。)ノ~☆・*。.:*・゜☆オヤスミナサイ💤









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この写真は、橿原市北八木町3で撮ったものですね。

その後、昭和43年(1968年)10月、奈良市五条山新町2-63
 赤膚山へ引っ越しましたね。


もし、当時と同じバス停が在るならば、赤膚焼きの(大塩;古瀬)の窯元の前の道を通り過ぎました。


よく調べて行って下さい。
 台風の影響が心配ですが、取り急ぎ又、お元気で♪





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追伸

 (阪南団地)の名前を、私は知りません。


 当時、(労住)と聞いた記憶があります。
(労住)……労働者住宅~…の省略だと思いますが。


 当時の住居の(労住)の少し遠方に、公営の住宅団地があります。


あの辺りは、山でも切り開いて建設したのでしょうか、段々下へ下がった場所に団地があります。


 行ったことは、ありません。見たことがあるだけです。


 兎に角、よく調べて行って下さい。

 昭和46年(1971)6月大和郡山市千日町へ引っ越しましたね。45年程昔の話になります。



 呉々も、充分に調べて、実行して下さい。


じゃあ又♪






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