ダブルっち博物館

小6~高3まで両親の近距離別居型生活に巻き込まれたダブルっち君(1998年4月29日生まれ)も、晴れておかげさまで、フリーダム生活を満喫中です!f^_^;)笑

被爆者と被爆体験者の線引きは差別に繋がるもん🎵😿岸田首相が長崎の被爆体験者と初面会(※雑学No.853,B.D.+339)

🌟🌛🌝🌜✨
2024/8/9(金)
🐸🍏🍐🍈📗


朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
「昨日は午後から保健所健診、夕方遊びに行きました。あと一日半で、お盆休みです。13日(火)に奈良に帰る予定です。また連絡します。(※🔲🔲:息子氏の名前)


つづいて、菟田野のお義母さん(86)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
おかあさんへ
🌊フク通信ε(c*´꒳`)🎤🎶853号🌊


💛おはようございマナガツオ~🐟🥶ダジャレガクブル・・・
💛さて、きょうは🎵今日で お別れね もう 逢えない🎵の金曜日ですねッε(c*´꒳`)🎤🎶
(『今日でお別れ』①番 昭和42年(1967)年)
💛ご存じであれば、よろしければご一緒に口ずさんでくださいねッε(c*´꒳`)🎤🎶 


ε(c*´꒳`)🎤🎶
今日でお別れね もう逢えない
 涙を見せずに いたいけれど

 信じられないの そのひとこと
 あの甘い言葉を ささやいたあなたが
 突然さようなら 言えるなんて


ε(c*´꒳`)🎤🎶
♪ ゼゼ…ゼイ… ゼゼゼ…ゼイ…♪(←息切れ寸前の私😱)


💛それでは、今日は「神楽(かぐら)/長堀橋」さんより、
「お料理の名前当てクイズ」➁(ラスト)を1問(全部で2問)お送りしますねッ😋
 タノシンデクダサイネッ(*•ө•*)/♡


💛一応、ヒントつきですけれども、それが必要なのは、ひとえに私だけデスねッ(`Θ´)ドヤア


💛なお、前回(昨日)は同「神楽」さんより、一品目の
「お料理の名前当てクイズ」をお送りしましたねッ(*•ө•*)/♡


💛それでは、二品目の写真と
「お料理名当てクイズ」のヒントをお出ししますねッ(*•ө•*)♡↓↓

◆二品目:ハ🔲ミステ🔲キ🥩


💛では、答えを発表しますねッ(*•ө•*)♡
↓↓
↓↓
◆二品目:ハラミステーキ🥩
ナイス!アタリマシタネッ(*•ө•*)/♡


💛ではおしまいに、ちょっと変なやりとりをしますねッ(笑)(*•ө•*)♡
↓↓
↓↓
↓↓
私「ハラミステーキで🥩 腹、満たされました~( ˆoˆ )/♡」
マスター「 勘弁してくださいよ🥶ガクブル・・・ 」
✨✨✨


💛話をちょっと元に戻すとε(c*´꒳`)🎤🎶
『♩今日でお別れ♩』の①番と言えば
「♩突然さようなら 言えるなんて♩」ということで


別れとは、そういうものですね☆彡
でも、この方にとっては、まさに、
青天の霹靂だったでしょうね…😱


でも、縁は、見えない糸で繋がれているものなので、お互い、
人と人との間で、ふわふわ、ふわふわ漂い続けましょうよね😉✨


💛それでは、午後も佳きことがありますように🍀
  明日も、続きをお楽しみに❓🐸
💛今日もどうもありがとうございました
💮
(←ご自分への褒め言葉もお忘れになりませんように😋)         


With “Ryoryo”(リョーリョー)


💛そのあとは西高野街道ランへ行って9,431歩(6.0㎞)早歩きしました🍀🐈🏃🌒(ゼイゼイ… バタッ…♪♪ (←息切れしたウチ…😱でもその後にブログ巡りの至福が待っている…🥕🐎)


💛夜は『長崎原爆の日。救済の線引きをされた被爆体験者の思いとは?』(前編)の文字起こし(要約筆記)をしました。


ウチは別に18歳未満に政治に触れさせてはいけないと考えていないし自分や自分の動物の家族やブログの皆様も含めて自分の最愛の人たちの飲むとか食べるとかのいのちに関わっている問題が政治そのものだと思っていて学生時代は色々ちょっとやっていたんですけどそれから約30年たって今の所謂「オッサン」政治はその頃以上になんかかけ離れてしまっていたのでもうすっかり「オバオジサン」のウチだけれど書く手段ならまだ残っているかなと思って恥をかき捨てブログをちょっと再開したら気がついたら800回に及んでいたという次第ですというかいつ何時何があるかわからないのであと何回書かせて頂けるかという話なんですけども…🙇↓↓


✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘🏃

配信日:2024年8月9日(金)、発信:TBSラジオ『荻上チキ・Session』、テーマ:特集「長崎原爆の日。救済の線引きをされた被爆体験者の思いとは?」、出演:岩永千代子×本田孝也×荻上チキ×南部広美
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※部分起こし(要約筆記)


🌝24:03  岩永千代子(88)・長崎の被爆体験者、「第二次全国被爆体験者協議会」会長:https://www.tokyo-np.co.jp/article/346535


私は9歳で国民学校の4年生で食糧難であ
ったのでお米がありませんからサツマイ
モとかじゃがいもとかかぼちゃが主食で


それからサツマイモの葉っぱ、茎という
のはとても生育力が強くてそれで根っこ
の方に大きなサツマイモができるんです


けど伸びるのが早くてそしてどこまでも
伸びていくからそれを外してやらんとイ
カンくてそうすると根っこの方に栄養が


行くということでその作業を母と姉と私
と3人で畑で
行っていましたそして「も
うお昼だから帰れ」と言われて姉が先に


私はその20mぐらい後を歩いてあの日
帰っていました 


🌝31:04 岩永
行政からの説明会が各地の公民館で始まり
ました私の故郷でもあった時に私はあの日


姉と母と3人でサツマイモのツルを起こしに
行ったから「被爆者健康手帳」が私も取れ


ると思って一緒に行ったんですねところが私
も私たち家族も私たちの郷里の人々もみんな


その申請すらできないということが分かって
その時から「線引き」はおかしいということ


は思い続けることになるわけですけどそれを
スーパーで話し合っていたことから運動に繋


がっていきました「おかしいねおかしいね」
と話し合っていたことが「町長の所に行こう



か」なっていって私から言ったじゃなくて
同じ郷里の人が「岩永さん行こうか」と言っ


たんですけど私は「そんな役場に行くのです
ら敷居が高い私は行かん」と言っでも結局私


夫が(被爆体験者ではなく)被爆者だった
ともあり夫と相談して夫も伴って私はそこへ


行くことになりました大体14人位が集まって
行きました


🌝32:47 岩永
子どもが小学校に進むと子ども児童会という
のがあって当時色々子どもに疑疑似体権とい


うことをさせていたんですけどもその当時の
校長先生は「原爆を平和教育の原点にしない」


ということ言っていたので11時2分で針が
止まった柱時計の絵とかを机の上に置いては


いけないとか色々言われたので私は子どもた
ちを連れて平和公園に行ったりしたこともあ


りました自費でしたあと子どもたちと一緒に
被爆者の証言を聞いたりもしましたそういう


ことを通じて 「ああ被爆者って本当に大変
だったんだな」というような知識が少しず
つついていったりしました


🌝36:38 岩永
政府による「被爆者」と「被爆体験者」の
区別について私が感じることは
「被爆体験


者」は精神的な疾患がなければ被爆者健康
手帳が取れないという現実から感じること


とちょっと重なるんですけれども今でも
被爆体験者」は精神科医の「トラウマがあ


る」という診断がなければ被爆者健康手帳
を継続できません行政上そういう風に精神


家に行くことが義務付けられているんです
だからみんな精神病です精神病でもない


人がおかしいと思うでしょ精神病があると
いう診断を貰わなければ被爆者健康手帳を


貰えないということはある意味人権蹂躙
すよねでもそういうことが被爆者健康手帳


に実際に書かれてあるだけなく「被爆体験
者」への援護自体が実は予算事業なんです


よね県と市に予算がなければただちに打ち
切られてしまうだから非常に不安定な状況


に「被爆体者」という属性は置かれてい
という風に私は感じますね


🌛47:13 荻上チキ・NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表、「社会調査支援機構チキラボ」代表:https://twitter.com/torakare


今後政府に期待すること、政府がやるべきだ
と思っている点についてはいかがでしょうか


🌝47:19 岩永


岸田首相が長崎の被爆体験者と初面会(2024年8月9日)
右は長崎の被爆体験者、岩永千代子さん(88)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/346535


私が政府に対して言いたいことは抗議では
ないんですね私が欲しかったものはやはり


「被爆者」であることの科学的合理的根拠
でしたそれが今高辻先生の実験結果や本田


先生の調査研究によって明らかになったの
ですあとは国がそれを認めて下さるだけと


いう所まできましたそれが一番の望む形で
すしそれが通ったら私ははっきり言っても
う何も欲しいのはありません



私たちの今までは長い長いある意味苦難
の道でしたけども決してそれはマイナス


ではなかったと私は思っていますそれは
人間の弱さから来るものだと、国も間違


んだということを私は教えられました
国は間違う…戦前の特攻隊とか学徒動員


とか若者が徴集されてそして白木の箱で
帰ってくるということを人間は繰り返し


ました今ガザの問題でもまた繰り返して
いますそれも人間の弱さががあるからな


んだと…弱さがあるから手を繋いで対話
をしてあともう1つたった1つの地球です


からやっぱりもう少し人間が奢ってはい
けないということを思います私的に言えば


やっぱり昔はあったんですよ貧しかった
けれど餅を貰うとやっぱり隣の貧しい人


の家にも持っていけとか言われて子ども
の時に持って行っていましたそういう素


朴な実践を昔の人たちはやっていました
今みたいに豊かでなかった方が逆に人間


らしい生活が営まれるということはある
んですよねだからそういう風な支え合い


の社会をこの国にめざして頂ければ
んな風に個人的には願っていますね


🏃🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨


※今日の文字起こしのソース(情報源)はこちらです:https://www.tbsradio.jp/articles/86494/

配信日:2024年8月9日(金)
発信:TBSラジオ『荻上チキ・Session』
テーマ:特集「長崎原爆の日。救済の線引きをされた被爆体験者の思いとは?」
出演:
  岩永千代子(88)・長崎の被爆体験者、「第二次全国被爆体験者協議会」会長:https://www.tokyo-np.co.jp/article/346535
×本田孝也・長崎県保険医協会会長、医師:https://endo.ai-ms.com/media/articles/endoscopist/789
×荻上チキ・NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表、「社会調査支援機構チキラボ」代表:https://twitter.com/torakare
×南部広美・フリーアナウンサー:https://www.tbsradio.jp/articles/63007/

趣旨:
今から79年前の、1945年8月9日、午前11時2分。長崎市に原爆が投下され、この年だけで7万4000人あまりが亡くなりました。一方、生き残った人でも、原爆の放射線などによる病気=原爆症によって今も苦しんでいる方がいらっしゃいます。国はこうした健康被害の対象者に「被爆者健康手帳」を交付し医療費の給付などを行っています。


しかし、原爆が落とされた際、爆心地から半径12キロ圏内にいたものの、国がそれより狭い範囲で定める「被爆地域」に含まれていない人たちは「被爆者」ではなく「被爆体験者」と分類され、被爆者健康手帳が交付されていません。


こうした中、長崎の平和祈念式典の後に例年行われている岸田総理と被爆者団体の面会に、今年初めて「被爆体験者」が参加。被爆者として認めるよう訴えました。きょうは、この面会に参加した被爆体験者と長年、支援活動を行う医療従事者をお迎えし 長崎の原爆による健康被害の実態や、救済の線引きの是非について考えます。


※動画の視聴urlはこちらです:https://www.youtube.com/watch?v=qZDeeveoAJA&list=PLdDrTl31O6BOJY3I12x5PPhjK4vNXDl2P&index=7&t=34s
※関連動画のご紹介はこちらです:https://www.tbsradio.jp/articles/86523/


※関連ブログのご紹介はこちらです:https://wtti2.muragon.com/entry/154.html

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