日本人とアジア人ヘイトの痛みも繋がってるもん🎵😹(※雑学No.791,B.D.+277)
🌟🌛🌝🌜✨
2024/06/08(土)
👩🏻🎸🥀🌼🎆
朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
「昨日はいつもの中華居酒屋が貸し切りだったので、一人で牛丼食べました。禁酒日でした。今日は午後から遊びに行きます。夜は新地の小西さんの予定、明日は玉造の鮨屋です。」(※☐◇:息子氏の名前)
つづいて、菟田野のお義母さん(86)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
「💛おかあさん、おはようございまスイレン~🌼🥶ガクブル・・・
💛きょうもお時間いただきありがとうございます💐⏰
💛さて、きょうは🎵どう咲きゃいいのさ この私~🎵の土曜日ですねッ(*•ө•*)/♡👩🏻🎸🥀🌼🎆
(『圭子の夢は夜ひらく』①番 昭和45(1970)年)
💛ご存じであれば、よろしければご一緒に口ずさんでくださいねッ(*•ө•*)/♡👩🏻🎸🥀🌼🎆
ε(c*´꒳`)🎤🎶
♫赤く咲くのは けしの花
白く咲くのは 百合の花
どう咲きゃいいのさ この私
夢は夜ひらく♫
ε(c*´꒳`)🎤🎶
♪ ゼゼゼ… ゼゼゼゼ… ゼゼゼノ… ゼイ…♪(←息切れ寸前の私😱)👩🏻🎸🥀🌼🎆
💛それでは、今日は『根っこばなし』より『松の木のあっちこっち🌳🪢』(第5回)をお送りしますねッ(*•ө•*)/♡
💛ちなみに、前回(一昨日)までは、
「昔々の池田では、松の木のあっち側を村、こっち側を部落と呼び、ある時から
あっち側には流浪のハンセン病患者の人たちが住みつき始めましたが、彼らの
建てた仮小屋が風雨雹雪に晒されこっち側にズレてきたので、ムラの人たちは
差別が増幅されるのを危惧してあっちに戻ってくれるよう申し入れたところ…」
というお話でしたねッ(*•ө•*)/♡
💛なお、『松の木のあっちこっち🌳🪢』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇↓↓
『松の木のあっちこっち🌳🪢』
(第5回)
と たのんだそうなが、そのかったい、気のいい人で、二つ返事で
すぐと 小屋をあっちへ いざらかしといてくれたと。
ところがなその日のうちに あっちの連中がやってきて、
かったいが すわっとるまんまの小屋を ずるずると
引っこずって、松の木のこっち側へ いざらかしたとよ。
(つづく)
✨✨✨
💛話変わって『♩圭子の夢は夜ひらく♩』の①番と言えば👩🏻🎸🥀🌼🎆
「♩どう咲きゃいいのさ この私♩」ということで
大丈夫!今、ドン底や二番底に居ても、後々振り返れば
よい思い出に変わりますので、できればその日を楽しみにして
お互い、自分にとってステキな日々を過ごしましょうよね😉✨
💛それでは、次回は6月10日(月)になりますけれども、続きをお楽しみに❓😆
今日も佳き日でありますように💮😸👩🐸」
With “Ryoryo”(リョーリョー)
💛そのあとは西高野街道ランへ行って11,969歩(8.6㎞)走り歩きしました🐕🐈🏃(ゼイゼイ… バタッ…♪♪ (←息切れしたウチ…😱でもその後にブログ巡りの至福が待っている…🥕🐎)
💛夜は『ダースレイダー史 第1章:生まれてから小学校6年生まで』の文字起こし(要約筆記)をしました。
今、ネット上でクルド人の方へのヘイトスピーチが酷くていつれもれらも「50代の人が主にやってるらしい」とちょっと聞いていて、ほんでウチは今頃「今年50代最後の年や」と気がついて、ほんで「そんなおかしな50代は一部の人だけやでぇ」というおとで、最後にちょっともうひとがんばりして、声をあげ続けようかなという風に思いました💦🌸
↓↓
配信日:2024年6月5日(水)、発信:DARTHREIDER、テーマ:ダースレイダー史 第1章:生まれてから小学校6年生まで、出演:ダースレイダー(本名:和田 礼 )
✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘🏃
※部分起こし(要約筆記)
🌝20:13 ダースレイダー・ベーソンズのボーカル、ラッパー、新刊『イル・コミュニケーション? 余命5年のラッパーが病気を哲学する 』(2023/12):https://twitter.com/DARTHREIDER
だから「ダースレイダー」とか言って47歳
になって今「余命あとなんとか」と言って
ますけれども4歳で1回「命の危機」という
ものを乗り越えてたりします
(中略)
🌝21:56 ダースレイダー
次が僕がよくライブなどで歌う「Dreamer」
という曲の舞台のロンドンのチャーチマウ
ント近くの公園での話なんですけどもユダ
ヤ人地区でそこにアラブ人一家とかもいて
そこの公園に僕と弟も7歳5歳とかで行って
ベンチに座ってたらねシャーッと目の前を
男の子が自転車で通っていくんですよ「イ
エーイ」とか言いながらねそれで「なんか
男のが通っていったな」とか思っていたら
同じ子がまた来るんですよまた「イエーイ」
と言って通りすぎて行ってしばらくすると
また来たので「同じ子がずっと来るけどな
んだろうな」と思ってたら最後2人で揃って
きて「うわっ」と思いました実はその子た
ちは双子だったんですよねそれで僕たちは
双子に完全にからかわれていたわけですで
その2人が自転車に乗ってバーッと来て英
語は全然分からなかったんですけど「自転
車に乗れば」みたいなことを言われて「カ
モン(さああっち行くぞ)」と指差されて一
緒に行ったんですねそしたら公園を突き抜
けた反対側の隣町に駄菓子屋さんがあって
そこで飴を買ってくれて「おいっ俺がリチ
ャードでこいつがアントニーだ」という風
に名乗ってきて彼らが最初にできた友達で
したそれで「このリチャードとアントニー
という双子が何喋ってんだか全然わかんな
いぞこれヤバいなさすがにどうにかせんと
アカンな」とこの時思いました別に英語が
わからなくても仲良くはなれていたんです
けども
🌝28:50 ダースレイダー
それで学校では英語が出来ない人のクラス
に入ってそこはベネズエラ人とかアルゼン
チン人とかの色んな子弟が通うクラスなん
ですけれども日本人も何人かいましたただ
日本人の子どもは後にみんないなくなりま
したなぜかと言うとみんな日本人学校に転
校したんですね日本人学校は3年生からし
かないので3年生になるとみんな行っちゃ
って日本人というかアジア系は僕と弟だけ
みたいなことになりました僕らはなぜ残っ
たかと言うと僕らはせっかく友達ができた
ので「こいつらと喋りてえ」「遊びてえ」
みたいな動機が強かったからでしたそれで
普段の授業を受けながら放課後も残って特
別講座という英語の特訓も受けましたそう
やって使うものとしての英語を結構積極的
に身に着けて行ったのでそこから1年もし
ないうちにペラペラ喋れるようになりま
したやっぱり持つべきものは友達ですね
🌝48:08 ダースレイダー
クラスは色んな国の子がいてさっき言った
ように一時から僕と弟以外アジア系の人は
学校からいなくなって給食も一応出ていた
んですけど基本みんなランチボックスとい
うかお弁当を持って行ってたんですそれで
この時僕はびっくりしたんですけどもマー
クという同級生が「昼飯だーっ」と言って
ランチボックスをパカッと開けたら人参が
1本入っていたんですあれは衝撃的でした
「すげえ昼飯だな」と思ってやっぱり日本
の親はどこかお弁当のなかみを競い合うよ
うな所があってうちもお母さんが結構毎日
凝ったお弁当を持たせてくれたんだけども
ただクラスの同級生の子たちとかは「わー
お前それは何なんだ凄いな」とか言ってみ
んな寄ってきてくれるみたいな雰囲気はあ
りましたただやっぱり一方で英国風の粗野
な人々の子弟の目には日本人が作るような
お弁当は「やりすぎだ」と見える人もいて
ある時たまたま学食でライスプディングと
いうのをあんまり美味しくなかったんです
けど椅子に座って食べていた所上級生が歌
を歌いながら食堂に入ってきたんですよね
この時点で展開はもう読めてたんですけど
僕が友達は一緒にいたけど1人でスプーン
でライスプディングを食べていてあとナイ
フとフォークでグリーンピースと肉の焼い
たのを食べていた時に上級生が4人くらい
やって来ましたそして「お箸」の英語の
♪チョップスティックチョップスティック
チョップスティックチョップスティック♪
と歌いながら4人で僕の周りをとり囲んで
ライスプディングと肉のプレートを床に叩
き落としましたそして「お前は箸(チョップ
スティック)を使え!ナイフとフォークは似
合ってないぜチャイナマン」と言われたんです
よねこれはもう全部覚えています「僕はチャイ
ナマンでもないし日本人だし」とか「別にナイ
フとフォークも使えるし」とか言い返せること
は色々ありましただけどその時は「うわあ上級
生だし怖いし」とか思って何も言えませんでし
たその上級生たちがまた歌いながら居なくなる
のをズーンと落ち込む気持ちで見送りましたで
もその時もクラスのベネズエラ人のフランチェ
スコがバッと隣に座ってきて「大丈夫?」みた
いな感じで「気にすることないぜ」みたいなこ
とを言ってくれたのとあとインドネシア人のサ
ミュエルもすぐ来てくれたということがあって
それで僕も「大丈夫大丈夫」と答えてそれが嬉
しかったですそういう時に助けに来てくれた人
がいたことは嬉しくて勿論それがベネズエラ人
とインドネシア人の自慢の友達だったことも嬉
しかったですちなみにこのサミュエルというの
は凄くてある時僕と一緒に道を歩いていたら
思いきり車に跳ねられたんです道を渡る時に
ドーンと車に跳ねられて僕が「うわっ」と思
ったら彼はクルッと1回転して足で着地して
跳ねた方の車の人が「大丈夫か」と言って降
りてきたらサミュエルはお尻をパンパンと叩
きながら「痛ってー」とか言ってその後病院
に行ったら全く無傷だったということがあり
ましたそういう超人みたいなやつがこのイン
ドネシア人のサミュエルなんですけど僕はこ
ういう人たちに囲まれたのでなかなか音楽の
話に辿りつかないまま50分も喋ってしまいま
した
🌝1:15:13 ダースレイダー
それで10歳で日本に帰ってきて正確には小学
校4年生の2学期になる前の夏休みに帰ってく
るんですけどこの時なぜ日本人の子どもたち
がみんな日本人学校へ行っていたのかが分か
るようになりますそれで帰りはアメリカ経由
だったので途中ニューヨークに寄ったんです
けども僕の母親はニューヨークに着いた時に
白いスーツとかを着て52番街とかを僕と弟を
連れて歩いていました父親はちょっと遅れて
合流したので母親と3人で歩いていたんです
そうしたらホットドッグ屋さんの前を通った
時にそこでホットドッグを食っていたやつに
母親は通り過ぎた瞬間ケチャップを背中にビ
ューッとかけられました「このエイジアンが!
」みたいな馬鹿にした感じでかけられたので
それで「うわっ」と僕と弟が思ったら母親は
ガッと相手を見て「ふざけんな!」と言って
自分が着ていた白いスーツのジャケットをそ
の場でバッと脱いでぐるぐるに丸めてホット
ドッグ屋のゴミ箱にバーンと叩きつけてそれ
で「行くよ!」と言って歩いていきましたで
せっかくのジャケットは台無しになったけど
「アジア人が馬鹿にされた」というのをその
場で態度で完全に相手を黙らせるみたいなア
レは鮮烈なイメージがありました
🌝2:09:12 ダースレイダー
そんなこんなですけど今後も見守って頂けた
ら生きてる間に自分を語り尽くそうと思って
いますのでよろしくお願いしますそれでは皆
さんごきげんようまた会いましょうさよなら
※「Dreamer」より部分抜粋の歌詞を追記してお送りします:https://www.youtube.com/watch?v=n3h4ZJXkxeY
Let me take a trip down memory lane
ロンドンで幼い頃過ごしたぜ
イーストフィンチリーの
ユダヤ人地区で
家族4人で過ごした日々
つかみあいはいきなり
公園でチャリ
気づけば周りには近所のガキ
一言も喋れない俺に指さし
ついてこいのポーズ
いつしか隣町
デイブ
リチャード
アントニー
フィリップ
なぜか豚は食わない
うまいのにな
金曜の食事で長い祈り
土曜はシナゴーグ
わけわからないのに
アリとネギーンはアラブ系
関係ねえ
みんな遊ぶぜ
アリは頼れる兄貴ぃで
ネギーンのお菓子は甘くぅて
みんなで笑い転げぇた
今思えばすげぇ
楽しかった
家に帰る途中
何があった
アリとリチャードが殴り合い
わけを聞いてもお互い
何も言わない
いつしか集まり
はなくなりあり
アリとネギーンの一家も
いなくなった
宗教のこと
中東のこと
何にも知らない
本当のことの
イスラエルとパレスチナ
幸せになりたいだけの
誰しもが
町でばったりネギーンにあったら
ごめんねとだけ言って走り去った
ただ遊んでたい
だけなのに
何も言えず
立ち尽くした
あの日
You may say I am a dreamer
変わりゆく今
あの頃のまま
君と
遊んでたいだけなのに
Dreamer
https://ameblo.jp/darthreider/entry-12346422815.html
※今日の文字起こしのソース(情報源)はこちらです:https://www.youtube.com/watch?v=U-TLsiN9AcE
配信日:2024年6月5日(水)
発信:DARTHREIDER
テーマ:ダースレイダー史 第1章:生まれてから小学校6年生まで
出演:
ダースレイダー(本名:和田 礼 )・ベーソンズのボーカル、ラッパー、新刊『イル・コミュニケーション? 余命5年のラッパーが病気を哲学する 』ライフサイエンス出版(2023/12発売):https://twitter.com/DARTHREIDER
※動画の視聴urlはこちらです:https://www.youtube.com/watch?v=U-TLsiN9AcE
※関連動画のご紹介はこちらです:https://open.spotify.com/episode/4JBPsLy1jl8ago9mKrovvO
https://www.youtube.com/watch?v=n3h4ZJXkxeY
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